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患者が感じる痛みは主観的なものであり、しばしば医療従事者による正確な評価が困難です。
その一方で、ここ数十年にわたり、医療従事者の性別を変えることで患者が感じる痛みも変化する可能性が指摘されてきました。
皆さんも、男性の医師に注射されるより、女性の看護師に注射されたときの方があまり痛くないと感じたことがあるかもしれません。
しかしチームの知る限り、この仮説を詳しく検証した研究はありません。
そこでルンド大学で麻酔科学を専門とするアンナ・セルグレン・エンスコフ(Anna Sellgren Engskov)氏が中心となって、この事実を検証する3つの実験が行われました。
これら実験は、被験者に男女どちらも含んでおり、医師を模した男女の研究者が同じ痛みに対する調査における被験者の感じ方の違いを調べています。
最初の実験では、18歳以上の健康な被験者に協力してもらい、足裏の土踏まずの部分にレーザーパルスを照射して、痛みを誘発しました。
このとき被験者は、男性の研究者と女性の研究者からそれぞれ2回にわたってレーザーパルスを受けます。
加えて、被験者とのやり取りに性別以外の違いができるだけ出ないよう、研究者は男女とも同じ服装で、被験者にかける言葉も同じ台本に則って統一しました。
その結果は非常に興味深いものでした。
なんと男性の被験者は、研究者が女性になると痛みを感じる閾値(いきち)が高くなったのです。
(閾値は、ある感覚や反応を引き起こすのに必要な最小の強度や刺激のこと)
つまり、研究者が男性だった場合に比べて、痛みの閾値を達成するにはより強い刺激が必要となっていたのです。
これは女性が医療従事者であると、男性の患者は痛みを感じにくくなる可能性を示唆しています。
しかし同じ効果は女性の被験者には見られませんでした。
チームは次に、ボタンを押すと微弱な電流が流れる装置を用意。
これを被験者に押してもらい、痛みを感じた時点でボタンを離すよう指示しました。
その場には男性か女性いずれかの研究者が同席し、その試験を監督します。
こちらの実験でも研究者の服装や言葉は男女どちらでも同じにしており、被験者は男女の研究者の両方で実験を行いました。
するとまたしても男性の被験者は研究者が女性だった場合に、痛みの感受性が鈍くなっていたのです。
これは女性が直接的に処置を施さなくても、男性の痛みが和らぐことを示しています。
ただ今回の実験では、女性の被験者でも、研究者が女性の場合に痛みが和らぐ傾向が見られたという。
では、この効果は実験環境のみに見られるものなのでしょうか? そこで最後の実験では実際に手術を受けた患者が観察されました。
これらの結果を受けてエンスコフ氏らは、実際に手術を受けた直後の患者を対象に、医師の性別によって痛みの報告レベルが変わるかどうかを検証しました。
この調査では、地元のスコーネ大学病院(Skåne University Hospital)に協力してもらい、手術明けの患者245名に約15分間の診察を行います。
患者はこれまでと同様に、男性と女性の両方の医師から同じように診察を受けました。
その結果、男性患者ではやはり、医師が女性の場合にのみ、痛みの報告レベルが有意に低下することが確認できたのです。
ただ、今回は女性の患者では同じような効果が見られませんでした。
以上の結果から、男性は治療にせよ診察にせよ、女性の医療従事者に処置してもらうことで痛みを感じにくくなると結論されました。
本研究について、同チームのヨナス・アケソン(Jonas Åkeson)氏は「今回の報告は患者の痛みレベルが医療従事者の性別によって変わることを、健康な被験者と実際の患者の両方で確認できた初めての研究です」と指摘。
また「この新たな知見は、患者がより良いケアと痛みの治療を受けることに役立つでしょう」と述べました。
一方で、なぜこのような性差が表れたのかはよく分かっていません。
特に2つ目の実験では、男女の被験者共に女性が監督している場合に電気刺激による痛みへの閾値が高くなっていました。
ここからは女性の存在が男女どちらに対しても痛みへの感受性に影響を与えている可能性が示唆されます。
エンスコフ氏は考えられる要因の一つとして、「女性の医療従事者の方が笑顔や患者とのアイコンタクトが多い」という先行研究の結果を引いて説明します。
しかし今回の研究では、医師役の言葉遣いなどを男女で同じにしているので、これが正確な説明になっているとはいえません。
また女性の方が共感性が高いことから、それが痛みの緩和させている可能性も考えられますが、やはり男性のみに影響が出る理由は、これだけでは説明が付きません。
ただ、男性の心理面に女性が与える影響がとてつもなく大きいことは周知の事実でしょう。
特に男性と女性では社会心理学的に役割としての期待値が異なります。男性の方が女性より強いことを求められる先入観は、女性の存在が男性だけに痛みを緩和させる結果に関連している可能性は高いでしょう。
そう考えると、単に男性は女性の前で我慢強くなっているだけの可能性も考えられますが、こうした性差を正しく理解することは、医療現場における診断の精度を上げるために役立つ可能性があります。
よくどこがどの程度痛むかという患者の主観的な報告が、診断において重要になる場合がありますが、ここに男女の医療従事者で患者の報告に違いが生まれることが分かれば、より正確な診断ができるようになるかもしれません。
最近の研究では、客席に女の子がいると少年合唱団の声質が高まることが示されています。
男性にとって女性の存在は、女性にとっての男性の存在よりも幅広い影響をもたらしているのかもしれません。
参考文献
Men experience less pain when a woman is in charge
https://www.lunduniversity.lu.se/article/men-experience-less-pain-when-woman-charge
Men have a higher pain threshold when females are treating them
https://www.earth.com/news/men-have-a-higher-pain-threshold-when-females-are-treating-them/
元論文
Single and double pain responses to individually titrated ultra-short laser stimulation in humans
https://bmcanesthesiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12871-019-0702-1
Randomized cross-over evaluation of investigator gender on pain thresholds in healthy volunteer
https://www.egms.de/static/en/journals/gms/2021-19/000301.shtml
Prospective paired crossover evaluation of potential impact of investigator gender on perceived pain intensity early after acute or scheduled surgery
https://bsd.biomedcentral.com/articles/10.1186/s13293-023-00508-9
Perception of nociceptive pain. Perspectives on induction, evaluation and gender.
https://www.dissertations.se/dissertation/059c999e9d/
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。