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魚を生で食べるという文化は漁村などにはありましたが、都市部で魚を生で食べられるようになるのは室町時代を待たなければなりませんでした。
何故なら、それ以前の時代では流通があまり発達しておらず、都市部の人が新鮮な海産物を手に入れるのは難しかったからです。
1489年頃の四条流包丁書には鯉、鯛、鱸を刺身としてワサビ酢、ショウガ酢、タデ酢で食べることが紹介されており、その頃には現在の刺身の原型が出来ていたことがうかがえます。
ただし刺身を口にすることが出来たのは貴族や位の高い武士だけであり、都市部の庶民が刺身を食べることは出来ませんでした。
また刺身の名コンビである醤油は、安土桃山時代にようやく原型が出来ました。
しかし醤油の生産は近畿地方に集中しており、江戸では「下り醤油」と呼ばれる近畿地方から流通してきた醤油が存在していたものの、その価格は非常に高いものだったのです。
たとえば1650年頃には、米一升の価格が26文であるのに対し、下り醤油は一升あたり78〜108文もの高価格で売られており、とても庶民に手が届くものではありません。
そのようなこともあって、江戸時代初期まで刺身に醤油をつけて食べることはありませんでした。
なお「下り醤油」の生産量は需要に全く追いついていなかったということもあり、江戸時代中盤では下総国(現在の千葉県北部)の銚子や野田といった地域でも醤油づくりが盛んになります。
そして幕末には「下り醤油」に代わって、これらの地域で作られた醤油が江戸で多く使われるようになったのです。
江戸で人気だった刺身はカツオです。
鰹の刺身は5月から6月に旬を迎えており、この時期には多くの江戸の町人がカツオに舌鼓を打っていました。
当時は相模湾や東京湾内湾の近くで獲れたカツオが快速船に積まれ、江戸の中心部へと運ばれていきました。
北斎の「富嶽三十六景」にも登場する七挺櫓の押送船(おしおくりぶね)には、カツオが積まれて江戸へ運ばれたと記録されています。
カツオは、漁獲後にエラ蓋を開けて内臓を取り除き、生簀(いけす)に入れて運ばれました。
押送船が日本橋の魚河岸に到着し、魚問屋や請下(仲買)、棒手振りを経て市民の手に渡ったとされています。
当時は競りが行われていなかったため、時間を無駄にせずに魚が庶民の手元に届けられました。
一部の船には幅1尺、長さ5、6尺の板舟に水を張って魚を載せる「請下」があり、鮮度維持に工夫が凝らされました。
また、明治神宮の井戸の水温を活用するなど、当時の冷蔵技術を駆使した方法も存在していたのです。
このように漁獲された鰹が江戸の町人の口に届くまでは24時間近くかかりましたが、井戸などで冷蔵されていたり、時間にかなり気を遣っていたりしたこともあり、意外と鮮度が落ちることは無かったようです。
しかし江戸の初鰹の値段は現代価格で8万円近くしたと言われ、長屋の庶民は腐敗した安い鰹を食べて食中毒を起こすこともしばしばあったようです。
そのため『恥ずかしさ医者に鰹の値が知れる』という柳多留(やなぎだる:川柳のこと)が読まれたりもしています。
一方で現在は刺身のイメージを独占しているマグロですが、江戸時代中期までは不人気な魚でした。
これは当時のマグロの呼び名の「シビ」から死日を連想し縁起が悪いとされていたと言われていますが、単純に江戸に流通したマグロの状態が悪かったためという説も有力です。
というのもマグロの漁場は長門豊浦(現在の山口県下関市)、平戸(現在の長崎県平戸市)、筑前(現在の福岡県)、薩摩(現在の鹿児島県)、能登(現在の石川県)、牡鹿半島(現在の宮城県石巻市・女川町)、安房(現在の千葉県)、常陸(現在の茨城県)、伊豆(現在の静岡県)といずれも外海に面している漁場であり、江戸近海ではあまり獲れていませんでした。
そのようなこともあって、遠方からマグロを船で運んでくる際には鮮度が低下しており、それ故マグロのイメージが悪かったと考えられています。
しかし19世紀に入ると、マグロが江戸で広く食べられるようになりました。
これは、紀州から房総半島の布良村(現在の千葉県館山市)に移住した漁民が、マグロ延縄漁業を始めたことと関連しています。
マグロ延縄漁業は一本の幹縄に釣針のついた枝縄を数多くぶらさげて、魚のかかるのを待つ漁法であり、これによりマグロを多く獲ることが出来るようになりました。
また脂身が少なくて劣化しにくい赤身を酒と醤油を混ぜて作った「煮切り」につけて食べる方法が開発されたことも、マグロが食べられる要因の一つとなりました。
とは言えまだまだマグロの刺身は食べられておらず、マグロの刺身を庶民が味わえるようになるのは、冷蔵技術の発展する近代を待たなければなりません。
参考文献
独立行政法人 水産大学校 水産大学校研究報告 (fish-u.ac.jp) https://www2.fish-u.ac.jp/kenkyu/sangakukou/kenkyuhoukoku/60.html