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嗅覚インターフェイスとは、ニオイをデジタル化し記録・再現する技術のことです。
人間は鼻でニオイを感じたり、調香して香りを作り出すことができます。
この技術を嗅覚インターフェイスによりデジタル化しようという試みが進められています。
嗅覚は日常において重要な役割を果たします。
個人差はありますが、ニオイによって快・不快を感じたり、昔の記憶が呼び起こされたりすることもあるでしょう。
同じ花畑の画面でも、実際のニオイを感じられるものとそうではないものでは、印象は大きく変わるはずです。
仮想空間上でニオイまで現実のものを再現できれば、より没入感のある体験ができるようになります。
しかし、嗅覚により感じたものを正しく伝える、再現する、といったことは視覚や聴覚、味覚に比べ難しいといわれています。
ディスプレイの色を表現するためには、は、赤(R)、青(B)、緑(G)のという光の3原色を組み合わせればありとあらゆる色を作り出せますし、音は鼓膜を揺らす振動パターンによって自由に再現できます。
視覚や聴覚に比べると複雑ですが味覚も、5種類(塩味、甘味、酸味、苦味、旨味)の受容器が基本となって感じ取っています(ただし味覚には他に痛覚による辛味や渋味など味以外の感覚も関連する)。
そのため味覚を再現する味覚ディスプレイの開発も現在は試みられており、一定の成果をあげていることが報告されています(明治大学)。
一方、嗅覚は他の感覚と大きく異なります。
これは多様な化学物質を感じ分けるための感覚であり、ニオイを感じる受容器「嗅細胞」は人間に400種類以もあります。
こうした複雑な構造によって、人間の鼻は40万種以上の分子をニオイとして嗅ぎ分けることができるといいます。
さらに、ニオイを作り出す基準となる「原臭」というものもありません。
原臭がない状態で数多くの種類のニオイを作り出さなければならず、ほかの感覚よりもパラメータを多く準備するなど、より複雑な調整が必要です。
また、嗅覚インターフェイスの課題として、ニオイの切り替えが難しいという点もあります。
音や光は出力している間だけ視覚や聴覚が刺激を感じ、残ることはありません。
新たに異なる出力が発生しても問題なく新しい刺激を感じられます。
しかし、ニオイは化学物質が鼻の細胞に付着したときに脳にシグナルを送信し「ニオイ」として感じられるようになる性質から、前に嗅いだニオイが残りやすく新しいニオイに切り替えにくいという特徴があります。
強烈なニオイを嗅いだときに、いつまでも鼻にニオイが残ってしまうという体験をしたことがある人もいるでしょう。
そのため、場面に合わせてニオイを発生しても、前に発生させたニオイを混ざってしまうことがあります。
嗅覚センサや臭気発生機の開発は進められていますが、こういった側面から視覚や聴覚のためのインターフェイスに比べ、どうしても開発の遅れがあることは否めません。
ニオイを発生する機器はすでに存在していますが、2023年5月現在、部屋全体を香りに包む大型の機器、もしくは内蔵された機器のサイズが大きいVRデバイスが主です。
そこで、香港城市大学では、仮想空間向けに小型で柔軟性がある嗅覚インターフェイスを発表しました。
今回香港城市大学が提案したのは、鼻の下に装着できるタイプ(以降デバイス1)とマスク型(以降デバイス2)の2種類のデバイスです。
【デバイス1】
皮膚に直接触れる性質上、柔らかく皮膚に負担がないように工夫されています。
鼻の下という限られた面積であるため、ニオイを作り出す臭気発生機は2つしか装着できず、再現できるニオイは制限されます。
【デバイス2】
マスク型は前者よりもサイズが大きくなりますが、臭気発生機は9つ搭載できます。
この9つの臭気発生機を制御することにより、数百もの種類の臭気を実現可能です。
両者とも鼻から非常に近い位置に臭気発生機を設置できるため、臭気発生からの応答時間は1.44秒という短さを達成してます。
このデバイスはシリコンカバー、臭気発生機、制御を行うための基盤、肌に接する部分を保護するシートなど、複数の層が織りなす多層構造となっています。
薄い基盤には、マイクロコントローラー ユニット (MCU)、Bluetooth モジュール、抵抗、コンデンサなど、デバイスを制御しニオイの発生をコントロールする機器が組み込まれています。
これにより、データをBluetoothでの通信が可能となり、デバイス1では最大2.8m、デバイス2では最大5.9mの無線通信距離を実現しています。
基盤を含め、すべて薄く柔らかい素材を選んだことにより、複数の部品を重ねられ、省スペース化に成功しました。
また、どの素材も柔軟性があるものを選んだことにより、皮膚やマスクの構造に沿って曲げることが可能となりました。
曲げられない基盤を採用すると臭気発生機と基盤は別にしなければなりませんが、柔らかい素材であれば臭気発生機と一体化されたコンパクトな装置になります。
この嗅覚インターフェイスの仕組みは、エタノールにニオイをのせて揮発させることにより、ニオイを感じさせるものです。
そのため、温度が高くなるほどエタノールが揮発しやすくなりニオイは強くなります。
この装置は人間がニオイを感じるのに十分である45℃を超え60℃まで加熱可能で、ニオイを発生させたら十分に人間が感じられるレベルに達しています。
また、ニオイを一度発生させると鼻のまわりにニオイが蓄積することから、前に発生させたニオイと混同し、正しくニオイを伝えられません。
しかし、この嗅覚インターフェイスでは、加熱温度によりニオイの強さを調整し、臭気がこもらないように調節可能です。
「ニオイは残ることから嗅覚インターフェイスとして正しく動作しにくい」という課題も解決しています。
この嗅覚インターフェイスは皮膚のそばで使用することから、高い安全性と安定性が求められます。
そこで、デバイスを捻じ曲げるテスト、加熱するテスト、長時間運転したときの発熱テストなどを行いましたが、特に問題が起こることなく安定して使用できることが分かりました。
また、臭気発生機自体は60℃という高温になりますが、皮膚と接する部分の温度はわずか32.2℃で、火傷が起こることもありません。
実用化のためには、より慎重なテストが必要になるとは思いますが、今のところ大きな問題はない状態です。
こういった小型の嗅覚インターフェイスは今後さまざまな分野で活躍するようになるでしょう。
映画やイベント、仮想空間で活用すれば、より没入感のある体験が可能となります。
娯楽的な使用方法だけではなく、医療や教育現場、メッセージにニオイを添付するなど、相手に対してより詳細に情報を伝えたいときにも役立つでしょう。
小型で着用できるサイズの嗅覚インターフェイスであれば、使い方はより幅広くなります。
参考文献
パナソニック、においをデジタル化–メタバース時代見据え人工嗅覚センサ開発 https://japan.cnet.com/article/35195957/ 難しいとされた再現に成功 「匂い」は伝えられる! https://healthist.net/biology/2587/元論文
Soft, miniaturized, wireless olfactory interface for virtual reality https://www.nature.com/articles/s41467-023-37678-4