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この問題は1995年にイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズによって証明され最終的な解決を迎えましたが、その裏には数世紀に渡る、数々の数学者たちのドラマが潜んでいます。
しかし、ワイルズ1人の知恵だけでは、この問題を解決することはできなかったでしょう。
実はワイルズは直接「フェルマーの最終定理」を証明したわけではありません。
この問題とはまるで無関係に見える、ある日本人数学者の「予想」を証明することで、この長年の問題に終止符を打ったのです。
難しい数学の証明には興味がないという人も、「フェルマーの最終定理」にまつわる数学ドラマを聞けば、その複雑な証明がどうやって実現したかわかるかもしれません。
今回は「フェルマーの最終定理」が解かれれるまでの経緯を、解説していきます。
目次
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この画像に書かれた簡潔な内容が、「フェルマーの最終定理」の全文です。
400年近く前、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーはこの問題をメモに書き記し、その脇に次のような一文を残してこの世を去りました。
「私はこの命題について、真に驚くべき証明を見出したが、それを記すにはここはあまりに余白が足りない」
このメモが、以降360年に渡って数多くの数学者たちの頭を悩ませることになるのです。
フェルマーは今で言うところの承認欲求がまるでない人物でした。
自分で見つけた発見を世の中で認めてもらおうとはまったく考えず、1人で答えを見つけて1人で満足し喜んでいるだけの人だったといいます。
しかし、そんなフェルマーの誰にも教えなかった「真に驚くべき証明」は、「フェルマーの最終定理」として数世紀先の時代まで彼の名を轟かせることになりました。
難問とされながらもフェルマーの最終定理が一般にも非常に有名なのは、子供でも理解できる極めて単純な問いかけにあります。
フェルマーは、「xn + yn = zn という式のnが3以上のとき解がない(つまり絶対に式が成立しなくなる)」と言っています。
しかし、この式のnが2の場合、それは誰もが中学校で習う「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」になります。
つまり「n=2」であれば、この「xn + yn = zn」という式を成立される「X,Y,Z」の解はたくさん存在するのです。それが「nが3以上」なった途端まったく成立しなくなるというのは、なんだかおかしな気がします。
例えば命題に含まれるように、nを3にして考えてみましょう。この場合、式は「2つの異なる立方体の体積の和で新しくもっと大きな立方体が作れるか?」という計算をしていることになります。
順々に数を当てはめていくと、上の画像のように「6の3乗」と「8の3乗」を足し合わせたとき、「9の3乗より1少ない」という答えを得ることができます。
非常におしい答えです。この調子ならすぐに成立する3つのX,Y,Zの組み合わせが見つかりそうな気もします。
ところが、そんな数はいくら探してもまったく見つからないのです。
ピタゴラスの定理に無限の解が存在する証明は、紀元前の数学者エウクレイデスが著書「原論」の中で紹介しています。
同じ式でnが2の場合、無限に解が存在すると証明できるなら、その逆に3以上で解が存在しないと証明することはそんなに難しくないような気がしてしまいます。
最終的にフェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズは、10歳のときにこの問題を図書館で見つけ「なぜ多くの数学者がこんな問題につまずいているのだろう?」と不思議に思ったといいます。
「きっと何か重要な鍵を見落としているだけで、あっさり証明できるんじゃないか?」と幼少時代のワイルズは思ったのです。
しかし、それは他の多くの数学者たちが落ちた危険な落とし穴でした。以後ワイルズは30年以上、この問題の呪縛に捕らわれることになります。
解が無限に存在することを示す証明は、比較的簡単に解決される場合があります。
例えば、数学者エウクレイデスは素数が無限に存在するのか? それとも有限なのか? という議論に対して、無限に存在することを証明しています。
その証明は以下のようなものです。
「素数が有限と仮定して、すべての素数をかけ合わせた数に1を足したとき、それは新しい素数になる。
もし割ることができた場合、その数を割れる未知の素数が存在していることになってしまう。
故に素数は有限ではない」
数行に収まるほどの簡潔な証明です。
しかし、無限に組み合わせの作れる数式に解が一切存在しないということを証明するのは非常に困難です。
特にフェルマーの最終定理では、「nは3以上」としか述べられていないため、非常に巨大な乗数の計算まで考えなければなりません。
この問題では「xn + yn = zn」が3乗どころか、100乗でも1万乗でも無限の乗数で計算しても解は存在しないと証明する必要があるのです。
しかし、1万乗とか1京乗なんてところまで計算していったら、ひょっとして神様の気まぐれで1つくらい成立する数が出てくるかもしれません。
実はフェルマーは4乗の場合に解がないという証明はきちんと書き残していました。
それを利用してレオンハルト・オイラーは3乗の場合に解がないという証明を成功させています。
これらの証明から、さらにnが「3の倍数のとき」と「4の倍数のとき」解が存在しないと証明することもできました。
しかし、こんな調子で証明を続けていても埒が明きません。証明するべき「n」は、3以上の無限に連なる数字たちなのです。
この問題を解決するためには、もっと違う視点の考え方が必要だったのです。
ここで少しフェルマーの問題から離れ、戦後の日本に話しを移しましょう。
戦後の日本の数学界では、教授陣がすっかり疲れ果て、研究への気力を失っていました。
しかし若手数学者たちは熱意に溢れていて、コミュニティを作って互いに新しいアイデアについて話し合い、勉強していました。
そんな中に、フェルマーの最終定理解決の最重要人物となる二人の若手数学者が登場します。それが谷山豊(たにやま とよ)と志村五郎(しむら ごろう)です。
1955年、日光で数学国際シンポジウムが開かれます。
日本の若手数学者は自分たちの研究を世界に発信するチャンスだと、このシンポジウムの際に、アイデアをまとめたプリントを世界の研究者たちに配って意見を求めました。
その中に、谷山のある重要なアイデアも含まれていました。それが後に数学界に衝撃を与える重要理論「谷山-志村予想」の雛形となるものでした。
「すべての楕円曲線はモジュラーである」
それが谷山の主張した理論の内容です。
非常に簡潔な一文ですが、ほとんどの人には何を言っているのか意味がわからないでしょう。しかし、これは数学者から見ると思いもしなかった画期的なことを言っていたのです。
谷山はまるで映画にでも出てきそうな、ぼんやり型の天才だったと言われていて、靴紐なんていちいち結び直すのは馬鹿らしいからと結ばなかったそうです。
彼はひらめきが先行していたようで、それは数学で何より重要なことでした。
ただあまりに発想が飛躍しすぎていた谷山のアイデアは、このときほとんどの学者たちに「事実とは思えない」と受け入れてはもらえませんでした。
そして、残念なことに谷山はこのシンポジウムの開かれた3年後に自殺してしまいます。自殺の理由は不明です。
谷山の死後、その意志を引き継いだのは志村五郎でした。
志村は図書館で谷山と同じ本を借りようとした縁で知り合い、それ以来数学研究の盟友となっていました。
彼はなんとか、亡き友人のアイデアを形にしようと、その意味を死物狂いで理解し、アイデアを支える理論付けを行っていきます。
そして発表されたのが「谷山-志村予想」です。
数学における「予想」とは、限りなく真であると考えられるが証明はできていない命題につけられる呼び名です。「予想」が証明されるとそれは「定理」になります。
アンドリュー・ワイルズは「フェルマーの最終定理」を証明した人として世間で話題になりましたが、実はフェルマーの最終定理を直接証明したわけではありません。
ワイルズが成し遂げたのは、この「谷山-志村予想」の証明です。
「すべての楕円曲線はモジュラーである」このことを証明することで数世紀の間、世界の数学者の頭を悩ませ続けた「フェルマーの最終定理」の無限の証明が完了してしまったのです。
これは一体どういうことなのでしょうか?
「すべての楕円曲線はモジュラーである」
前述の通り、これが谷山志村予想の内容です。
我々にはまったく意味不明な一文ですが、これは数学の異なる分野で研究されている「楕円曲線論」と「モジュラー形式」という問題が、実は同じ概念であるということを述べています。
ちょっと難しい言い回しをしましたが、これは「2つの分野それぞれに、まったく同じ答えを持つが問題が存在するはずだ」と言っています。
それがフェルマーの最終定理の証明とどう関係するのかは、後ほど説明するとして、ここでは「楕円曲線」と「モジュラー形式」が何なのかということをを簡単に説明します。
面倒な人はこのページは飛ばしてもいいでしょう。
楕円曲線とは、ある方程式の性質を調べる問題です。
紛らわしいですが、この「楕円曲線」には楕円も曲線もあまり関係ありません。
調べる対象となった方程式が、もともとは楕円や惑星軌道の長さを計算するものだったことが名前の由来ですが、現在はそういう枠は超えて、ただ「楕円曲線」と呼ばれる方程式の性質を調べるだけの学問になっています。
気になるかもしれないので、一応それがどんな式なのか例を示しましょう。
こんな中学の教科書でも見かけたような方程式が、楕円曲線の一例です。今回の解説を聞く上で、別にこの式について理解する必要はありません。
楕円曲線論はこの方程式のaやbにいろんな数字を当てはめて、そのとき方程式のxやyに整数解が得られるか、解はいくつ存在するか、という性質を調べます。
こうしたひたすら数の性質を調べるだけの、極めてストイックな数学の分野を「数論」と呼びます。
私たちには何が面白くて何の意味があるのかまるで理解できない「数論」ですが、研究している本人たちもそれには同意することが多いので気にする必要はないでしょう。数論はただのパズルだと思ってください。
そしてフェルマーの最終定理も「xn + yn = zn」という方程式の性質を調べる数論の問題です。
数論の問題は、その研究の第一人者だった紀元前の数学者ディオファントスにちなんで「ディオファントス問題」と呼ばれることがあります。
実はフェルマーはこのディオファントスの大ファンで、楕円曲線についても研究していました。
そしてアンドリュー・ワイルズも大学院生のとき、この楕円曲線を研究テーマに選んでいます。このことは後に重要な意味を持ってきます。
モジュラー形式というのは4次元空間で極めて高い対称性を持つパターンに関する問題です。
もうすでに意味わからんと思った人も多いかもしれませんが、順々に説明していきます。
数学の対称性は、私たちが一般的に使う対称とは少し違う意味を持っています。
数学のいう対称性とは、ある変換をしても変化が生じない性質を意味します。
例えば監視カメラで、テーブルに置かれた食器を真上から監視しているとしましょう。
この中央の丸いお皿を、あなたが目を離した隙に誰かが回転させた場合、あなたはその事実に気づくことはできるでしょうか?
おそらく無理でしょう。なぜなら円は回転させても何も変化が起きないからです。けれどその横にあるフォークやナイフなら反対向きにされればすぐに気が付きます。
この場合数学では、円は回転という変換に対して極めて高い対称性を持つ、と表現されます。もしこれが正方形のお皿だったら、90度の回転に対しては対称性を持つことになります。
これが数学における対称性の意味です。そのため、回したりずらしたりしても形が変化しないような図形やパターンを作るというのが高い対称性の研究だと思えばいいでしょう。
さてそこでモジュラー形式ですが、モジュラーは上のお皿のようなX軸Y軸だけの二次平面ではなく、それぞれの軸が複素数(実数の軸と虚数の軸)になった4次元の軸上で議論されます。これを双極空間といいます。
つまりモジュラー形式とは、4次元空間でずらしたり回したりしても変化したことが分からないような模様を作る研究だと思えば良いでしょう。
ただ、そんな事を言われても4次元なんて人間の頭でイメージすることができないので、釈然としない人もいるでしょう。
そこで参考になるのが天才画家のエッシャーの絵画「サークルリミットⅣ」です。
この絵画はモジュラーの理論を利用して双極空間の対称パターンを二次元で再現した絵だと言われています。
そのためここまでの説明で「何言ってんのかわかんない」と思った人は、モジュラーとは下の絵のような複雑な模様を考える研究だと思ってもらえばいいでしょう。
モジュラー形式のような高次元の図形に関する研究分野は「位相幾何学」と呼ばれます。
数学について何も知らない私たちでも、ここまでの説明を見ると数論と位相幾何学がまるで異なる問題だということは理解できるはずです。
ところが谷山志村予想は面白いことに、このまったく異なる「楕円曲線」と「モジュラー形式」が、同じ話をしていると言ったのです。
当然、多くの数学者が「そんなバカな…何を言っているんだ?」と思ったようです。
しかし、これは事実であり、そしてこの全く無関係に見える谷山志村予想の主張がフェルマーの最終定理を解決することになるのです。
楕円曲線とモジュラー形式は、数論と位相幾何学というまるでなんの関わりもない別分野の問題です。
そのため「谷山が最初にこれらは同じ概念を論じているのではないか?」と言ったとき誰も信じられなかったのです。ただ、志村五郎を除いては。
「君の意見では、いくつかの楕円曲線とモジュラー形式が関連付けられると言うんだね?」ある高名な数学者に疑うように尋ねられた志村は、こう答えたそうです。「いいえ、そうではありません。いくつかではなく、すべての楕円曲線です」
そして志村は、必死の研究の果てに、谷山の驚きのアイデアを理論付けして「谷山-志村予想」として発表します。
これはまるで形式が異なるように見える2つの問題で、まったく同じ解が得られることを示していました。
「見事な予想でした。どの楕円曲線にも1つのモジュラーが付随しているというのですから」
ハーバード大学教授のバリー・メーザーは、「谷山-志村予想」をそのように語っています。
ある領域で解決できない問題が、別領域の問題に変換可能で、新しい領域のテクニックによって解決できるかもしれない、それは革命的なアイデアでした。そのため世界中の数学者がこの予想の虜になったのです。
しかし、ここまで聞いてきた多くの人が、「この話がどうフェルマーの最終定理の証明と結びつくんだ?」と疑問に思っていることでしょう。
ここからが話の本題です。1984年、ドイツの数学者ゲルハルト・フライが驚くべき発見を発表します。
それは「フェルマーの最終定理に登場する『xn + yn = zn』は楕円曲線に変換可能だ」というものでした。フライはもし仮にフェルマーの最終定理に解が存在するとしたら、という仮定から1つの楕円方程式を作り上げたのです。
その後、カリフォルニア大学バークレー校の教授ケン・リベットが極めて重要な証明を成功させます。それは「フライの楕円曲線は異常すぎてモジュラーにはならない」というものでした。
二人の数学者の仕事は次の事実を明らかにしました。「フェルマーの最終定理に解が存在した場合、それは楕円曲線に変換可能であり、そこには付随するモジュラーが存在しない」
これはつまり、「すべての楕円曲線はモジュラーである」と主張する「谷山-志村予想」が事実ならば、フェルマーの最終定理には解が存在しないことを意味していたのです。
まったく異なる分野で議論されていた数学の問題が、このとき数世紀に渡る難問の解決とつながったのです。
こうして解決の糸口さえもつかめなかった「フェルマーの最終定理」を証明する道具はすべて揃いました。
大学院でフェルマーの最終定理の研究を断念し、楕円曲線の研究を行っていたワイルズは運命を感じたかもしれません。
亡くなった友人の意志を継ぎアイデアを形にした志村五郎、フェルマーの式を楕円曲線に変えたゲルハルト・フライ、そのフライの楕円曲線がモジュラーでないことを証明したケン・リベット、数々の数学者たちの偉業の果てに、問題は1つに繋がりました。
そしてアンドリュー・ワイルズが「谷山-志村予想」を証明することで、フェルマーの最終定理は最終的な解決を迎えたのです。
ワイルズはこの証明に、実に7年もの歳月をかけました。それは1995年、フェルマーの問題が発見されてから実に360年後のことでした。
多くの数学者たちを悩ませた問題を解いたのは、10歳のときこの問題に出会い数学の道を志した1人の少年でした。彼は30年越しにその夢を叶えたのです。
ケンブリッジ大学で行われたこの証明に対するワイルズの講演には、リベットやメーザーなどそこに至るまでに関わった著名な数学者たちが数多く集まっていたといいます。
ワイルズはこのときのことを次のように思い返しています。
「証明を口にすると、なんとも言えない威厳に満ちた静寂が訪れました。私は黒板にフェルマーの最終定理を書き、こう言ったのです。『ここで終わりにしたいと思います』喝采が沸き起こりいつまでもやみませんでした」
フェルマーの最終定理は「谷山-志村予想」の証明によって幕を降ろしました。実際数学者の多くはフェルマーの最終定理が解決されたことより、「谷山-志村予想」が証明されたことのほうが意義が大きいと考えています。
しかし、当時の報道ではフェルマーの最終定理が大きく取り沙汰され、その解決の大きな貢献をした二人の日本人数学者については、ほとんどメディアで触れられることがありませんでした。
友人の死後、35年を経てその予想が証明されたことの感想を尋ねられた志村吾郎は、穏やかに微笑んでこう答えたといいます。
「だから言ったでしょう」
しかし、疑問が残ります。
フェルマーの最終定理の証明は、最近になって見つかった多くの数学の理論やテクニックが使われています。それらはフェルマーの生きた時代には存在していなかったものです。
フェルマーは確かに楕円曲線の研究を行っていましたが、モジュラー形式は20世紀になってから発見された数学の分野です。
だとしたらフェルマーは、はったりをかましただけで、実は証明などできていなかったのでしょうか?
しかし、フェルマーの最終定理は360年を経て正しかったことが証明されています。彼の主張は間違ってはいなかったのです。
もっとずっと簡単で単純な、17世紀の数学の知識とテクニックだけで解決できる証明が存在するのでしょうか?
もしかしたら、それこそがフェルマーのいう真に驚くべき証明かもしれません。ただ、彼は名誉よりも個人の楽しみを重要視していて、人を困らせることも大好きだったといいます。
数世紀にも渡って多くの数学者たちを悩ませたのなら、例え嘘つきと思われてもフェルマーは十分満足なのかもしれません。
この記事は2020年にナゾロジーで公開した『「フェルマーの最終定理」解決の裏に潜む数学ドラマ【前編】【後編】』の2本の記事を統合し加筆修正したものです。
参考文献
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)