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この人魚ミイラはメディアなどでもよく取り上げられているため、「サルの上半身と魚の下半身をつなぎ合わせた偽物」という説明を聞いている人も多いでしょう。
しかし、このミイラの上半身はよく見ると非常に異様であり、単純にサルのミイラを使っただけには見えません。
そこで倉敷芸術科学大学、倉敷市立自然史博物館らの共同研究チームは、ミイラの正体を解明すべく、同院の全面協力のもと、2022年2月から科学的な解析プロジェクトを開始。
そして1年にわたる調査の結果、この人魚ミライの正体が明らかとなったのです。
それは今まで説明されていたようなサルの死骸ですらない、完全な人間の芸術作品だったようです。
目次
こちらが圓珠院に保管されている”人魚のミイラ”で、上半身に人かサルのような形が、下半身に魚のヒレやウロコの特徴が見られます。
全長は約30センチで、フィクション作品に登場するような人魚ほど大きくはありません。
桐箱に収められた書付からは、1740年頃に現在の高知県沖で捕獲されたとの記録が記されています。
実際これまでの調査で、ミイラの年代は、江戸時代の第8代将軍・徳川吉宗(1716〜1745)の治世に当たる元文年間(1736〜1741年)と考えられていました。
その生々しくリアルな見た目は、確かに「江戸の世で捕獲された怪奇生物」との説得力を与えますが、ただ不気味がっているだけでは話は進みません。
そこで研究チームは昨年2月から、ミイラの表面観察、X線撮影、電子顕微鏡での調査、DNA分析、放射性炭素年代測定など、科学的な解析調査を始めました。
そして今月7日、チームは1年におよぶ調査結果をまとめた最終報告を行っています。
先に結論から述べてしまうと、この人魚ミイラは動物の死骸の縫い合わせなどではなく、完全に人の手による造形物でした。
まず、この人魚ミイラの見た目から記していきましょう。
頭部・眉・口の周辺に体毛があり、眼窩はまっすぐ正面を向いています。
耳があり、外耳道(耳の穴)も開口して、鼻および鼻孔も確認されています。
歯はすべて円錐形の尖った牙で、先端が後方(口の内側)に向けてややカーブしていました。
この口は明らかにサルのものと異なっていますが、調査ではその形状から肉食性の魚類のものと判明しましたが、種類までは明らかにできませんでした。
また目を引くのが、恐怖に怯えるかのように顔を覆う両腕です。
ここにはそれぞれ指が5本あり、平らな爪も付いています。しかしこの手もどうみてもサルのものとはことなります。
さらにこの上半身の肌には鱗が生えているのも確認できます。これもかなり異様な点と言えるでしょう。
下半身は背ビレや腹ビレ、尾ビレを持ち、全体がウロコに覆われています。
そして体表には砂や炭の粉を糊(のり)状のもので溶いた塗料が塗られていたようです。
走査電子顕微鏡による観察結果に移りましょう。
体毛には哺乳類の毛が使われているようで、毛小皮(キューティクル:毛の一番外側を覆っている組織)が観察できました。
また平たい爪は、どうやら動物の角質が用いられているとわかりました。
そしてX線撮影の結果、非常に気になる事実が示されました。
上半身は下顎を除いて、骨格構造がまったく存在しておらず、これがサルの死体ですらないことが明らかになったのです。
この上半身は木や金属の心材も使わずに、内部は布や紙、綿で作られていたのです。
また首から頬、肩、腕にかけて見られた鱗の皮膚は、フグ科魚類の皮を貼ったものだとわかりました。
下半身の魚体部はスズキ目ニベ科の魚類の皮で覆われており、魚類の尾部骨格や、それぞれのヒレにおける担鰭骨(たんきこつ:魚類のヒレの基部にあって、それを支えている骨)が確認されています。
また、首の奥と下半身に金属製の針が見つかりました。
剥離したウロコをもとに炭素年代測定をした結果では、ミイラの年代は1800年代後半の可能性が高いと判明。
蛍光X線分析では特別な防腐処理は施されておらず、DNA分析では遺伝子が検出されませんでした。
以上をまとめると、圓珠院の”人魚ミイラ”は、下半身をニベ科魚類の皮で覆い、上半身を布や紙、綿の詰め物と漆喰のような物質を土台としてフグの皮で覆った「完全な造形物」であることが特定されました。
目的は分かりませんが、1800年代後半に何者かによって作られたアーティファクト(人工遺物)と考えられます。
さらに歴史・民俗学の観点から、人魚ミイラと一緒に残されていた書付を調べると次のような記載がされていました。
人魚は『元文年間に、土州(高知)沖で漁網にかかったものが漁師によって、大阪に運ばれ、販売されていたものを、備后(備後)福山の小島直叙氏の先祖が買い求め、以後、小島家の家宝とした。
明治36(1906)年11月に小島氏から小森豊治郎氏に売り渡した』
しかし、これらの具体的な人名については確証のある情報が得られず、この話が真実かどうかは分かりません。
それでも、これまで正体不明だった人魚ミイラが人の手による造形物だったと判明したことは大きな進歩です。
研究主任の加藤敬史(かとう・たかふみ)氏は次のように述べています。
「幼い頃、少年雑誌に掲載されている妖怪や伝説の生き物の話をわくわくしながら読んでいました。
それから何十年もたって、自分がそのようなものにふれ、直接研究する機会に恵まれるとは考えてもいませんでした。
このプロジェクトで多くの情報が得られましたが、まだすべてのことが明らかになったわけではありません。
今回の報告で一応の区切りとしますが、今後もこの圓珠院の人魚のミイラについては研究が継続される予定です」
日本国内には現在、”人魚のミイラ”とされる遺物が確認できるだけで他に12体あるとのこと。
多くは寺社と博物館が所蔵していますが、これらも同じように人の手による造形物かどうかはまだ分かっていません。
しかし、これだけ同じようなものが繰り返し作られているとするなら、人々の信仰の対象やお守りのような何らかの機能があったのかもしれません。
参考文献
人魚ミイラの実態解明/圓珠院所蔵『人魚のミイラ』研究最終報告