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人類をはじめXY染色体の組み合わせで性別を決めている生物にとっては、XYどちらの染色体も種を維持するために必要不可欠な存在です。
(※ 大部分の哺乳類やニジマスなどの一部の魚、チョウ、ハエなど一部の昆虫もXY染色体で性別を決めています)
しかしX染色体にとっては、Y染色体が存在しない方が自らの勢力比を高くすることができ、Y染色体にとってもX染色体の比率が低ければ低いほど、自らの勢力を拡大することができます。
積み重ねられた遺伝的な解析は、X染色体とY染色体が長い長い歴史の中で、相手を殺す攻撃方法と自分の身を守る防御方法の両方を競い合うように進化させてきたことを示しています。
X染色体とY染色体の戦いの「完全決着」は種の絶滅を意味しますが、利己性の塊のような遺伝子たちにとって、そんなことはどうでもいいようです。
このような暴力的な染色体同士の抗争が人類の進化の過程でも起きていたのか、また起きていたのなら今の私たちの遺伝子にどのような影響を与えたのでしょうか?
人類のX染色体とY染色体の間にも凄惨な殺し合いが起きていたのか?
その謎を解明するため、研究者たちは2022年に世界各地の男性から162種類のX染色体を採取し分析を行うことにしました。
もし人類のX染色体とY染色体も進化の過程で殺し合いをしてきたのならば、DNA配列になんらかの「戦いの痕跡」が残っている可能性があるからです。
結果、アフリカ人以外の人類のX染色体の19個所において、極めて共通性の高い(配列パターンが似ている)領域があることが判明。
最も共通性が高い領域はアフリカ人以外の人類の91%に存在することがわかりました。
この結果は、現在に生きるアフリカ人以外の人類のX染色体は過去のある時点でほぼ「一色」に塗り替えられてしまっていたことを示します。
そこで研究者たちはDNAの配列パターンから、塗り替えイベントが起きた時期と発生地点の算出を試みました。
すると人類のX染色体の塗り替えイベントは、今からおよそ4万5000年~5万5000年前の東アジアを震源地としていることが支持されたのです。
これらの結果は、今から5万年ほど前に東アジアで出現した変異X染色体が、それまで存在した人類の多様なX染色体を駆逐して、アフリカ人以外の人類に急速に拡大したことを示します。
実際、塗り替えイベントの痕跡がある共通性の高い部分では、現在のアフリカ人以外の人類が持っているはずのネアンデルタール人の遺伝子がほとんど存在しませんでした。
人類は今から25万年ほど前にネアンデルタール人と混血し、X染色体にもネアンデルタール人の遺伝子が多くちりばめられています。
ところが5万年前に起きた変異X染色体の塗り替えイベントは、古代から継承されたネアンデルタール人由来の遺伝子のいくつかを上書きしてしまったのです。
しかしそうなると気になるのが、その方法です。
5万年前の東アジアで出現した変異X染色体は一体どんな手口で、アフリカ人以外の人類のX染色体を自分のコピーと置き換えていったのでしょうか?
研究者たちは、新たに出現した変異X染色体には「Y染色体を運ぶ精子」を殺す力が強かった可能性があると述べています。
X染色体とY染色体は長い進化の歴史の中で、お互いを殺す攻撃力と自分の身を守る防御力を競い合ってきましたが、5万年前に突如出現した変異X染色体は攻撃能力が異常に高く、Y染色体を運ぶ精子を簡単に殺戮できた可能性がありました。
すると変異X染色体が侵入した集団では、変異X染色体を持つ女性が多く生まれるようになり、その女性もまた変異X染色体を持つ娘だけを生むといった連鎖が発生し、広く人類において変異X染色体が急速に拡散していったと考えられます。
アフリカ人以外の人類のX染色体に共通性が高い領域があるのも、変異X染色体による劇的な塗り替えイベントの痕跡が5万年後の現在でも残っているからだったのです。
もっとも変異X染色体はあまりにも普及してしまったため、現在に生きる人類にとって変異X染色体は異物とは言えない状態になっていると言えるでしょう。
しかし現在の人類は変異X染色体が居座っているにもかかわらず、男女比はほぼ1:1となっています。
なぜ変異X染色体の影響は弱まってしまったのでしょうか?
研究者たちは「変異X染色体の高い攻撃力に対抗するためにY染色体の防御力が進化したためである」と述べています。
5万年前に勃発した染色体たちの世界大戦は、変異X染色体による大攻勢に対して、Y染色体が防衛力を強化したことで膠着状態に陥り、現在まで続いていると言えるでしょう。
X染色体とY染色体の抗争の歴史は人類が誕生するよりはるか以前から続いており、一時的にX染色体が有利になることはあっても、長いスパンで見た場合には揺り戻し繰り返されていると考えられます。
人間の国家間の緊張状態は長くても数百年に過ぎませんが、X染色体とY染色体の抗争スケールは、それよりも遥かに大きいようです。
研究者たちは、現在でもX染色体とY染色体の抗争は続いており、いくつかは男性の不妊症の原因になっている可能性があると述べています。
染色体同士の戦いを理解することができれば、不妊症をはじめ未解明の医学的問題のいくつかが解決するかもしれません。
※この記事は2022年11月に掲載したものを再編集してお送りしています。
元論文
Extraordinary selection on the human X chromosome associated with archaic admixture
https://doi.org/10.1016/j.xgen.2023.100274
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。