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もありません。そんな子どもたちを笑顔にする、ベイリーのハンドラーとしての話が森田さんに参りこみます。
2009年、森田さんはハンドラーとして研修を受けるためにハワイへ行き、見事に英語での研修と試験をパスします。そして2週間後には合格を手にしてベイリーとともに日本へ帰国し、日本初のファシリティードッグが誕生しました。
ところが、ベイリーがハンドラー森田さんと共に日本に帰国しても、すぐに病院で常勤することはできませんでした。なぜなら、日本では病院に動物を入れるということが前代未聞だったからです。
そんなとき、唯一ファシリティードッグに興味を示してくれた静岡県立こども病院から、トライアルの依頼がきます。
まずは病棟にはいれずに、廊下でベイリーと触れ合いたい子どもだけが来ることから始まりました。その後、徐々に信頼が強まり、廊下からプレイルーム、ベッドサイド、そして最終的には添い寝までできるようになりました。
当初は週3日勤務のベイリーと森田さんでしたが、子どもたちが院長に”ベイリーは毎日必要なの!”と直訴することで週5日の勤務が認められ、正真正銘の常勤ファシリティードッグとなることができます。
ベイリーが勤務していた静岡県立こども病院では、白血病の診断のために骨髄に針を刺して血液を採取する骨髄穿刺(こつずいせんし)は、とても痛くてツライ検査である上、医師たちにとっても緊張を伴う検査のひとつですが、ベイリーはずっとそばにいることが認められていました。
しかし、この活動が認められるまでには多くの時間を必要としました。でも病院スタッフの方々の理解の上で、今ではファシリティードッグの必要性が多くの方に知られるようになっています。