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イトーヨーカドーといえば、東日本を中心に展開する総合スーパー。イオンとは真逆の駅近を中心とした出店が多く、自動車を持たない層でも来店しやすいのが大きな特徴です。そんなイトーヨーカドー日立店(茨城)が30年の歴史に終止符を打つということで伺ったところ、閉店セレモニーの店長様の言葉で涙ぐむ人が続出していたのですが……。
茨城県日立市といえば、あの日立製作所のお膝元として有名な地方都市。その日立製作所(厳密には三菱日立パワーシステムズ)の工場近く、JR日立駅から徒歩2分という好立地のイトーヨーカドーが閉店しました。
#茨城県 日立市のJR日立駅前で30年あまり営業を続けてきた「イトーヨーカドー日立店」の閉店が16日に迫り、地元では閉店を惜しむ声が上がっています。https://t.co/91OBdup2MS
— NHK水戸放送局 (@nhk_mito) January 14, 2022
茨城県北部地区の要である日立市ですが、実は百貨店が存在せず総合スーパーもイトーヨーカドーのみでした。周辺自治体にはイオンがあるのですが、なぜか日立市には店舗を出さず……これによって唯一の総合スーパーが消滅してしまいました。
個人的に思い入れが強いイトーヨーカドーの日立店。友人と地下の「ポッポ」で山盛りポテトを分け合ったり、入手困難なスーファミのゲームを購入したり、中華料理屋さんでチャーハンをたらふく食べたり、ゲーセンでリラックマのぬいぐるみを手に入れたり……。
店内のメッセージボードに思いの丈をぶつけて来ました……何を書いたのかは個人的なことなので割愛します。
正直前回伺った際は「ガラガラだな……」と思っていたのですが、最終日はオープン当初の活気が戻っていました。
閉店時間には、多くの従業員の方がお客様をお見送りしていらっしゃいました。
ちなみにイトーヨーカドーは閉店となりましたが、4階と5階のテナントは残るそうです。空いてしまったイトーヨーカドー、早く店舗が埋まることを心から願っております。
1,000人、いや2,000人は軽くいたでしょうか。閉店後15分ほど店頭に店長様が登場し、お別れの挨拶をされていたのですが、あまりに人が多く密になりそうだったので遠目から聞くことに。
【浦川昌志 店長あいさつ】
日立の皆さんにご迷惑・ご不便をおかけしますことを深く深くお詫び申し上げます。
本当に申し訳ございません……(10秒ほど深々と頭を下げる)
1991年10月31日に147番目のイトーヨーカドーとして誕生した日立店。オープン初日には5万人の来店があり、1億円の売上がございました。
その後もたくさんのご来店本当にありがとうございます……。<中略>
従業員に閉店の話をしました、半年前のことです。通常の業務に加え、閉店の業務に追われる従業員からこんな言葉をいただきました。
「店長が悪いなんて誰も思っていませんよ、最後までがんばりましょう!」
この言葉にどれほど救われたことでしょう……<中略>
本日をもちまして、イトーヨーカドー日立店は閉店いたします。皆さま方には長く長く助けていただき、本当にありがとうございました!
ここで、多くの方からすすり泣きが聞こえました。百貨店やスーパーの閉店に立ち会ったことは何度かありますが、ここまで涙を誘う挨拶は初めてかもしれません。筆者が青春時代を過ごしたイトーヨーカドー、これで完全に終止符です。
大きな拍手と共に、厳かに幕が降ろされる……そう思ったときに数人が叫び始めました。
ありがとー!
絶対に忘れないからなー!
いや、ちょっと待ってくれ!おそらく周りの方々も同じことを思っていたでしょう。それでなくても密になっている状態なのに、そこで大声を出すとは……せっかく店長の感動的な言葉でみんな感傷に浸っていたのにブチ壊しですよ。余韻に浸るつもりが、すっかり興ざめしてしまいました。
当然「イトーヨーカドー日立店」に問題があるとは全く思っておりません。ただ、ここの地域にはこういう「人種」が多く存在するという理由で、地元から離れるという人が多いんですよ。正直、私もその一人であったということは否定できませんが。
日立駅前に30年間存在した「イトーヨーカドー」がなくなってしまった事実。あまり実感がわかないというのが、今の正直な気持ちです。若い頃の思い出の場所が、次々と消えていってしまうな……。ありがとうヨーカドー日立店、フォーエバーヨーカドー日立店!
ヨーカドーといえば、1年ちょっと前にイトーヨーカドー100周年記念グッズがレア化するという事態になったんですよね。閉店前にグッズの再販を願っていたのですが、残念ながら願いが叶いませんでした。
source:イトーヨーカドー公式ホームページ