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NHK連続テレビ小説「まんぷく」が好調らしい。チキンラーメンの開発者で日清食品グループの創業者でもある安藤百福氏とその妻を主人公にしたストーリーだ。しかしドラマ内では触れられていないが、日本の国民食ともいえるチキンラーメンを発明しヒットさせたのは、実はすべて台湾人の功績ではないかという疑いがある。
日清食品グループ公式サイトの「安藤百福クロニクル」には安藤氏の経歴や実績が詳しく記されているが、出身地についての記載はまったくない。ちなみに生まれは1910(明治43)年であるとしている。
ただし、PHP研究所の「インスタントラーメン誕生物語」という本には、安藤氏は当時日本の統治下にあった台湾で生まれたと記されている。また安藤氏の祖父の家が台南県東石群にあったという記述もある。台湾居住の日本人は多かっただろうが、父・祖父とも台湾におり、しかも別々に家を持っていたとなると、一応は「安藤百福氏台湾人説」の可能性を考慮しなくてはならないだろう。
さて、日清食品(当時の社名はサンシー殖産)がチキンラーメンを発売したのは昭和33年だが、実はチキンラーメンに先駆けて
・大和通商の陳栄泰氏
・東明商工の張国文氏
が東京・大阪で昭和33年頃に相次いでインスタントラーメンを独自に発明したという話がある。ふたりとも台湾人だ。
何しろ古い話なので真相は時の彼方だが、安藤百福クロニクルも「安藤氏がインスタントラーメンの発明者だ」とはひとことも言っていない。いずれにせよ日本におけるインスタントラーメンのパイオニアは台湾人だった可能性が高いというわけだ。
そもそもインスタントラーメンが最初に発明されたのは日本ではなく台湾だと思われる。
その根拠は、当時高名な経営・投資コンサルタントで「お金儲けの神様」と呼ばれた邱永漢という人が書いたエッセイだ。邱氏はそのエッセイのなかで、インスタントラーメンについて「日本でも最近デパートで売りはじめたが、これは台湾の『旅行麺』をまねたもの。味は台湾のほうがはるかに優れている」と書いている(引用文は本文の最後にまとめました。引用1)。
邱氏は台湾台南市生まれの生粋の台湾人(後に日本に帰化)だが、学生時代から日本在住で、当時すでに直木賞を受賞して流行作家になっていた。このエッセイ本もベストセラーになっている。もし根も葉もない嘘を書いたらすぐにバレるわけで、まんざらデタラメを書いたとは到底思えないのだ。
また、作家の開高健は邱氏について「昭和31年頃、日清食品の顧問を務めていた」と指摘している。(引用2)
安藤氏も邱氏も台湾出身で日本在住。知り合えば意気投合するのは自然だろう。邱氏は東京大学経済学部卒、東京大学大学院で財政学を学んだエリートだ。日清食品の顧問をしていても不思議はない。またひとり、ここにもチキンラーメンのヒットを支えた台湾人がいたわけだ。
これで「チキンラーメンのモデルはすでに台湾で流通していたし、日本でチキンラーメンを含むインスタントラーメンの開発・ヒットに貢献したのはすべて台湾人だった」という可能性が十分あることをおわかりいただけたと思う。
さて、安藤氏は後にチキンラーメンをベースに発展させ、カップヌードルを発明する。カップヌードルは現在世界80以上の国・地域で販売されており、日清食品は「日本を代表するグローバルブランド」だと誇る。
それにケチをつけるつもりはまったくないが、世界中の「カップヌードルは日本が発祥」と思っている人たちに「カップヌードルもチキンラーメンも、ホントは全部台湾人のお手柄かもしれないんですよー!」と教えてあげたいような気もするのだ。
さて、時は流れて現代。インスタントラーメン市場は日清以外にもさまざまな企業参入し、バラエティ豊かな新商品が次々に開発されている。たとえば油そばをインスタント化したという、こんな記事なども読んでみてはいかがだろうか?
この記事を書き終えたところで、邱氏のいう「旅行麺」が気になったので調べてみた。
邱氏のオススメの旅行麺は広州の「大良九記」という店だが、いくら検索してもまったく情報が得られない。今から60年以上昔の話だ。台湾でもとっくに忘れられてしまったのかもしれない。どなたか「旅行麺」についてご存じでしたらぜひ編集部までご一報ください。
画像提供:Photo AC
参考資料:日清食品グループ公式 「安藤百福クロニクル」
参考書籍:「食は広州に在り」 邱永漢著(日本経済新聞社)
「最後の晩餐」 開高健著(文春文庫)
「インスタントラーメン誕生物語」 中尾明著(PHP研究所)
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↓ ここ以降は付録の引用文です。時間のない方は読み飛ばしてもかまいません。↓
引用1 邱永漢「食は広州に在り」より(初出はチキンラーメン発売の1年以上前)
(広東地方の)麺家(ミンカ。日本でいうそば屋)は麺を食わせるだけでなく、いずれも干麺を売っている。九龍にある百吉という麺家は何十も干麺を販売しており、その売上げのほうが店で食わせるのよりおそらく多いだろう。めんどうな調理を要する普通の干麺から、茶碗に入れてお湯をさしただけですぐ即席でできる旅行麺に至るまである。この旅行麺をまねたものが最近東京のデパートにも現れたようであるが、味の点では問題にならないから、私たちは毎月香港から送ってもらっている。麺でいちばん有名なのは広州の大良九記であるが…
引用2 開高健 「最後の晩餐」より
(作家・三浦)朱門氏の説明によると、たしか昭和31年頃、某日、突然邱永漢氏が三浦邸にあらわれ、妙な干麺をとりだして、朱門、(曾野)綾子の二人に、これをドンブリ鉢に入れて熱湯をかけて三分たってから食べてごらん、といった。(中略)邱氏はいくらぐらいならこれに手がだせるかとたずねるので、四十エン(※)くらいだろうと答えたら、ニッコリ笑ってそのまま消えた。(中略)当時、邱氏はそのチキン・ラーメンの会社の顧問みたいなことをしていたとのことである。
※チキンラーメン販売当初の価格は35円。邱氏はチキンラーメンの価格決定についてもリサーチしていた模様。