image:写真AC

「ヤー!」「どうぞどうぞ」のギャグでお馴染みの、3人組お笑い芸人のダチョウ倶楽部。体を張った芸風で、現在も第一線で活躍しています。ダチョウ倶楽部は肥後克広さん、寺門ジモンさん、上島竜兵さんのトリオです。しかし、実は割と知られていませんが昔は4人組で活動していたのです。では、今は脱退してしまったもう一人のメンバーとはいったい誰だったのでしょうか。

ダチョウ倶楽部、昔は4人組だった!?

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熱湯風呂に足をかけ「押すなよ、押すなよ」や、アツアツのおでんを食べるなど、体を張った芸風で現在も第一線で活躍している3人組のダチョウ倶楽部。

実は、デビュー当時は4人で活動していたという声がネットに寄せられているのです。

「ダチョウ倶楽部は昔は4人でしたね」「ダチョウ倶楽部は最初4人だった。」と、ネット上にコメントが見られます。

実はデビューからわずか2年で脱退してしまったメンバーがいたのです。いったい誰だったのかというと・・・。

ダチョウ倶楽部の4人目のメンバー、電撃ネットワークの南部虎弾

1990年1月に様々なジャンルで活動していたパフォーマー達によって結成された「電撃ネットワーク」。

電撃ネットワークは、日本のみならずラスベガスやカナダなど世界的に活躍したパフォーマンス集団です。

そんな電撃ネットワークのメンバーである南部虎弾(なんぶとらた)さんがダチョウ俱楽部の初期メンバーだったのです。

4人組だった頃を知っている世代からは「南部虎弾がいた頃のダチョウ倶楽部が好きだった」「結成当初のダチョウ倶楽部が4人だったことはあまり知られていない」と、ネット上にコメントが寄せられていました。

なぜ南部虎弾さんがダチョウ倶楽部をわずか2年で脱退したのかについて、FLASHが次のように報じていました。

ジモンさんによると、「4人組で2年ほど活動したころ、南部さんが突然『俺はツッコミがやりたい』と言いだしたんです。当時から南部さんは、頭の真ん中を剃り上げたカッパのような髪型でド派手なサングラスをかけていました。でも南部さんは『俺は久米宏になる』と言いだしたんですよ(笑)」

source:FLASH

また、肥後克広さんも「南部さんは笑わせたいんじゃなくて驚かせたい人なのです」と語っていました。

このようなことから、お笑いに対する方向性の違いから南部虎弾さんがダチョウ倶楽部を脱退する運びとなったようなのです。

南部虎弾さんがダチョウ俱楽部でしたかったことが、電撃ネットワークの過激なパフォーマンスに繋がっていったのかもしれませんね。

ダチョウ俱楽部プロフィール

肥後克広
生年月日 1963年3月15日
出身地 沖縄県

寺門ジモン
生年月日 1962年11月25日
出身地 兵庫県

上島竜兵
生年月日 1961年1月20日
出身地 兵庫県

source:太田プロダクション

南部虎弾

祖師谷大蔵の怪人

source:電撃ネットワーク

情報提供元: 秒刊SUNDAY
記事名:「 ダチョウ倶楽部、割と知られていないが実は昔4人組だった