ここ数週間で何の変哲もないと思われていた1枚の絵画が注目を浴びている。画家フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーによって描かれ『期待』と名付けられたこちらの絵画、なんと女性の手元に「絵が描かれた時代に存在し得ないもの』が描かれているというのだ。女性の手元をよく見ると・・まさかこれは・・!?ー150年以上前にiPhoneがあったのか!?

話題になっているのはこちらの絵画。1860年代に画家フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーによって描かれた絵だ。ヴァルトミュラーは肖像画や風景画を得意とするオーストリア帝国の画家。代表作として音楽家ベートーヴェンの肖像画は有名だ。ちなみに、学校の音楽室によく飾られていて「夜に目が光る」だの言われているのはヨーゼフ・カール・シュティーラーの描いた肖像画のほうだ。


改めてこの絵画、一体何があるというのだろう。中央の女性に注目してみよう。このポーズ、2017年現代のあらゆる所でよく見かけるあの動作に似ている。そう、歩きながらスマホを操作して手のひらサイズのボールに収まるモンスターをしこたまゲットしているあの動作に・・・最近では鳥取砂丘で異常なまでの群衆がこのポーズをしてウロつく様子が観測された事が記憶に新しい。

そう、これはまさしく『歩きスマホ』のポーズなのだ。

ー手元を拡大してみる



手元を拡大してみよう。もはや完全にスマホに見える。この目線、顔の俯向け方、どこからどう見てもスマホに夢中な人だ・・と現代人の私達にはどうしてもそう見えてしまう。そして同じような感じ方をしたスコットランドの元国家公務員 ピーター・ラッセルさんがSNSに書き込んだ所、反響を呼んだ。





ー本当にiPhoneなのか?答えはNO、しかし・・


この絵画の女性は本当にiPhoneを持った女性で、iPhoneはタイムスリップをしてしまったのだろうか?答えはNOだとMailOnlineは報じている。この女性が持つものは紛れもなく聖書(或いは賛美歌集)で、別名「日曜日の朝」とも呼ばれているとの事。つまりこの女性は教会へ向かう途中の敬虔な信者の絵だという事だ。

この絵画に対して、ラッセルさんは「テクノロジーがいかに絵画の解釈を大きく変化させ、文脈に影響させるのかという事に大きな衝撃を受けた」とマザーボードにコメントしている。”スマホが当たり前の時代に生きる私達”という受け取り手が持つ背景によって、この絵は「歩きスマホ」という日常のワンシーンに見えてしまったのだ。

私達は判断を行う時、自分の中に持つ”ものさし”を基準に判断を行う。この絵は私達の持つ「スマホがある生活が当たり前」という”ものさし”に基づいて真実とは違う解釈をされ話題を呼んだ。
時代背景による解釈の仕方の絶妙さに新鮮な感覚を覚える一方で、この絵は私達に『当たり前だと思っている”ものさし”はいつも真実を指し示してくれるものなのか?』という問いを投げかけているように思えてならない。


画像掲載元:wikipedia / Twitter

(秒刊サンデー:槙島)
情報提供元: 秒刊SUNDAY
記事名:「 おわかり頂けるだろうか、150年以上前の絵に『あり得ないモノ』を持つ女性の姿が・・