昨年度の「Yahoo!ニュース 本屋大賞2019 ノンフィクション本大賞」など、数々の賞に輝きベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。保育士でライターのブレイディみかこさんが、アイルランド人の夫との間に誕生した息子のリアルな中学生活を綴った作品です。大人だったら気分が滅入ってあきらめてしまいそうな差別や偏見、いじめを目の当たりにしても、悩みながらも時に楽しそうに、たくましく乗り越えていく姿からは勇気をもらえます。
今回は、この作品のキーワードともいえる「エンパシー(empathy)」について考えてみましょう。多様性が増す世界に生きる私たちが、ぜひ知っておきたい言葉です。


子どもはすべてにぶち当たる

舞台はイングランド南端の港町ブライトン。この地で暮らす著者の息子は、カトリック系の品の良い小学校から、正反対の「元底辺中学校」と地元で目されているパンクな学校へ進学。さまざまな格差が渦巻く「多様性ワールド」に直面します。そこでは、階級格差、人種差別、移民問題、ジェンダーの悩み、貧富の差など、世界の縮図のような怒涛の日々が待っていました。迷ったり、悩んだりしながらも、彼がどんどん前に進んでいく姿は笑いあり、涙あり。ともに成長していく子と母(時々、父)の日常は刺激と示唆に満ちています。

「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている。」と言ったのはオスカー・ワイルドだが、これに付け加えるなら、「子どもはすべてにぶち当たる」になるだろうか。
著書のなかで、ブレイディみかこさんはこのように記しています。
学校という社会は、世界の縮図。大人が生み出した問題に、子どもたちは否応なしに直面し、日々困難に立ち向かっていました。


知っておきたい「エンパシー」と「シンパシー」の違い

イギリスの公立学校には「ライフ・スキル教育」という教科があり、社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を助けることを目的としたシティズンシップ・エデュケーション(日本語では、政治教育、公民教育、市民教育等、訳され方はさまざま)がカリキュラムとして導入され、試験では、政治や社会の問題を自ら評価し考えることを問う問題が出されるそうです。
著者の息子の期末試験問題は、「『エンパシー』とは何か」。それに対する回答は「自分で誰かの靴を履いてみること」。他人の立場に立ってみる、という意味の英語の定型表現で返しているのです。ブレイディみかこさんは「すこぶる的確な表現」と認めたうえで、エンパシーの定義を「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のこと」と掘り下げています。
似て非なる「シンパシー」は、同じような立場の人に対する同情や共感といった感情のことで、自分で努力しなくても自然に出てくるもの。一方の「エンパシー」は、意志をもって行う知的作業で、獲得していくべき能力と捉えることができます。
11歳の子どもたちがエンパシーについて考え、学ぶイギリス。著書には、先生がホワイトボードに、これからは「エンパシーの時代」と大きく書いた、というエピソードがあります。私たちも心に留めておきたい言葉です。


身近な人へのエンパシーを大切に

数年前から日本でも人権問題や企業理念として掲げられる「ダイバーシティ(多様性)」と「インクルージョン(社会的包摂)」。これらを実現するために必要なスキルこそエンパシー、「自分と立場や考えが違う人の側に立って考える能力」といえるのではないでしょうか。
著者の息子が「ぶち当たり」、乗り越えようとしている、格差、差別、移民問題、ジェンダーの違いといったさまざまな問題は、現在の日本にも存在しています。悲観的になったり、考えるのをやめてしまうのではなく、エンパシーを鍛えていきたいですね。
まずは、いちばん身近な家族や知人、特に配偶者にエンパシーをもって接してみてはいかがでしょうか。寛容さや柔軟さをもって、相手の話を聞くことからはじめてみましょう。考え方や価値観の違いにも、前向きな解決策を見出せる可能性がぐっと高まりそうです。

参考文献・引用
ブレイディみかこ 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 新潮社