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入梅そして「傘の日」。梅雨といえばあの花!の意外なシンデレラストーリー


6月11日は「傘の日」。1989年、日本洋傘振興協議会により、傘の機能・使用法の認知普及と、ファッションアイテムとしての魅力を発信する記念日として設定されました。

なぜこの日なのかは言わずもがな、一年でもっとも雨の多い「梅雨」に突入するのがちょうどこのころであり、雑節の入梅(太陽黄経が80度となった日。貞享暦以来の設定では芒種の節気の最初の壬の日)の時期にも当たり、傘がもっとも活躍する季節だから。日本列島は北半球の温帯地域では例外的に降雨量の多い地域で、極めて豊かな植生や豊富な水源量は、梅雨という季節があってこそといえます。


完全形?傘が歴史登場以来、ほとんど変化がないわけは

傘が日光をさえぎる日傘として人類の歴史に登場したのは、何と4000年も前。その後、雨具としての傘も登場します。漫画「ヒカルの碁」で、碁盤と碁石が千年の昔から変わらないことに比況して、「人類が月にも行けたのに、なんで傘は傘なんだろう」と、その進歩のなさ、変わらなさについて、いぶかるくだりがありますが、実際手に持つ傘の形状や機能は、登場当時からたいして変わっていません。もちろん、張り布・支骨の材質や、折りたたみ方法の改善など、細かい部分での変化はありますが、心棒となる柄にぐるりと放射状に骨を取り付け、広げた骨にこうもりの皮膜のように布、ビニール、または油紙を貼った基本形態はちっとも変わりません。

そして、体の上半身部分の雨は防げても、下半身はガードしきれず濡れてしまうし、霧雨や横殴りの雨ではほとんど意味を成さず、暴風ではかえって風を受けて歩くのも大変になってしまう点もそのまま。もちろん、ドーム型に上半身を覆うオーバル型の傘や、流体力学に基づいて計算された風に強い耐風傘、背中やリュックが水滴でびしょびょになる欠点をカバーし、二人でも差せるようになったツインアンブレラ、そして開くときだけではなく案外面倒な傘をたたむ作業がスイッチ自動式となったワンタッチ開閉傘など、欠点を補う工夫された傘も数多く登場してきていますか、まだまだ充分とは言いがたいところです。

雨の多い日本。生活必需品のためか付喪神(道具類が怨霊化した妖怪)系では唐笠(和傘)が妖怪化した「唐傘お化け」のみが、有名妖怪の列に加わっています。霧雨の頻度の多い北欧などでは傘はほとんど使用されずレインコートがメインですし、ヨーロッパの各地でも雨の日に傘を差すのは年配者が主で、青壮年はフードをかぶるくらいでしのいでしまう地域も多いようです。傘の使用頻度と必要性が高く、傘が妖怪化するほど存在感の強い日本でこそ、画期的な新時代の傘が生まれるかもしれません。


今や梅雨時のプリンセス。その屈辱の?過去とは

ぐずついた天気が続き、やませ(偏東風)が吹き込み冷え込むかと思うと、晴れれば一転蒸し暑くなったり。湿気が多く過ごしにくい季節の代表格の梅雨ですが、梅もふくめた各種プラム類やビワ、ブドウなどフルーツが豊富だったり、大豆の若豆である枝豆が出回り始め、イワシやアナゴの美味しい時期でもあり、楽しみも多いもの。

雨や曇りの日は、花の色が冴えてきれいに見えるのも長所と言っていいでしょう。ハナショウブやタチアオイ。香りの高いクチナシに、ムンとするシイやクリなどのドングリ類の花や蝋質のカキの花やザクロの花。ホタルブクロやネジバナ、そしてスイレン(羊草)も咲き始めるころです。でも、世間一般では梅雨と言えばあの花、つまりアジサイということになってしまうのでしょう。

正直に言うと、個人的に筆者はアジサイが苦手です。葉の形や色、つき方が単純で風情がなく、樹形も単調で平板、花は折り紙で作ったようで色は絵の具の色っぽい。全体に子供っぽさを感じてしまうのです(個人の感想です)。

アジサイはアジサイ科アジサイ属(Hydrangea)の落葉低木で、日本原産と類推されるガクアジサイ(Hydrangea macrophylla f.normalis)の、外に飛び出した装飾的な周辺花が総体化した変種のホンアジサイ(Hydrangea macrophylla var.macrophylla)が基本種となります。ガクアジサイは房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆七島、小笠原諸島北部に自生します。ガクアジサイの中心にある正常花は実をつけますが、全体が装飾花したホンアジサイは、先祖がえりをしない限りは生殖能力を失っている中性花ですから実をつけません。

今でこそ、梅雨と言えばアジサイ一択になってしまうほどアジサイ人気は高く、シーズンには有名どころの神奈川県鎌倉市の寺では境内に入るまで一時間待ちになるほど混雑します。アジサイの咲くのが古刹の庭園であったり古くからの観光地であったりするせいもあり、いかにもアジサイの花は日本の梅雨を古から彩ってきた伝統の風物のように思われがちですが、実はそうではありません。かつては七変化とか七化けとも呼ばれ、蔑まれがちな花だったのです。

思出して 又紫陽花の染め替ふる (正岡子規)

紙が高級品だった時代、平たくて大きく、サイズも揃ったアジサイの葉はトイレの落とし紙の代用として使われていたほか、堆肥を運ぶ際に縁にはねて飛まつが飛ばないようにするために枝ごと肥え桶に放り込んだりと、厠(かわや)と縁の深い植物で、このため「トモクサ」とも読めるアジサイの古語の「止毛久佐」は、「しもくさ」と読むのだと、日本アジサイ協会初代会長を務めたアジサイ仙人こと山本武臣氏は叙述しています。田舎の家に行くと、便所の格子窓から見えるのはアジサイの花だったりすることも多かったもの。同時期の花、ドクダミのように、利用はするが特に愛でられもせず、まさに生態もぞんざいな扱われ方も、日陰者の植物だったのです。

長崎市 雨の眼鏡橋

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「日陰者」アジサイ、一躍スターにのしあがる

今流行中の万葉集では、アジサイを歌った和歌はわずか二首。平安時代の二大文学作品で、植物の記載がやたらに多い枕草子と源氏物語には、一切出てきません。時代が下り、中世になると徐々にアジサイが文献上に登場するようにはなりますが、決して人気が高いとは言えない、影の薄い存在でした。江戸時代は園芸文化がまさに花開いた時代で、ハナショウブ、オモト、ツバキ、サクラソウ、アサガオ、サクラ、ツツジ、ボタン等々、数多くの草木の園芸品種が作出され、それぞれ大ブームの時代を持ちますが、アジサイがブームとなったことは一度もありません。日本人はアジサイを愛してはいなかったし、梅雨の風物でもなかったのです。

アジサイが現在のような熱狂的人気を得るようになった始まりは、東京オリンピック(1964年)も終わり、日本が安定した経済成長路線に入った1960年代後半のこと。1968年に旅雑誌ではじめて鎌倉市の明月院に「アジサイ寺」の通り名が冠され、現在に続くアジサイ人気が始まることになります。

この後日本各地に「アジサイ寺」が出現しますが、それらの「アジサイ寺」に、境内のアジサイの植栽時期の調査をしたところ、岡山の長法寺が1870年ともっとも古いほかは、全てが20世紀以降で、京都の岩船寺が1936年、鎌倉市の覚園寺が1940年代ごろ、元祖アジサイ寺の明月院ですら1951年、千葉県大多喜町麻綿原高原の妙法生寺が1953年という他は、ほとんどが1980年代以降の植栽と判明。「戦後」どころか、昭和も終わろうという時期に、アジサイ観光はメジャー化したのです。

だからアジサイが悪いわけでも価値がないわけでもありませんが、アジサイは日本原産だとはいえ、戦後の欧米化した文化の美意識の中で価値を見出された「新しい花」なのだということをふまえるべきではあろうと思います。実際アジサイは、欧米に渡って「ハイドランジア」として品種が作出されてから見出された欧米由来の花ともいえるわけです。

2011年、アジサイをめぐって海外でちょっとした事件(?)がありました。日本は東日本大震災直後でそれどころではなかったために、あまり話題にはなりませんでしたが、ミュージシャンで大スターのマドンナが、ファンから贈られたアジサイの花束を「アジサイは嫌いなのよね」と憎々しげに語るのをメディアにスッパぬかれ、謝罪を要求されたのでした。マドンナもさるもので、「アジサイさんごめんなさい」という動画を配信、前半でアジサイに涙ながらに謝ったかと思うと、一転アジサイを地べたに叩きつけ、「でもやっぱりアジサイは嫌い!バラが好きで悪かったわね!ここは自由の国よ!」と宣言するオチをつけました。欧米では花の好みは千差万別。日本のように皆でこぞって「桜!」「コスモス!」「アジサイ!」「ネモフィラ!」と熱狂することはないようです。

同じく目立たない日陰者だったキンモクセイや、気味悪いとされていたヒガンバナなどが突如大人気になるのを見ても、花のブームはまさに世につれ人につれ。七変化、七化けと呼ばれるべきなのは、移り気な我々日本人の心のほうなのかもしれません。

参照

日本の花 (松田修 現代教養文庫・社会思想研究会)

植物の世界 (朝日新聞社)

Madonna's love letter to hydrangeas

鎌倉 明月院山門のアジサイ

鎌倉 明月院山門のアジサイ

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