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「知って得する季語」俳句と「クリスマス」


12月も半ばを過ぎ、平成最後の年末まで残りわずかとなりました。その前に賑やかな行事といえば「クリスマス」ですね。いまやクリスマスは、大切な人と過ごすアニバーサリーとなっていますが、俳句の世界でも冬の季語の一つとして詠まれてきた行事の季語でもあるのです。

クリスマスが季語として使われたのは、100年ほど前のこと。歳時記は常に時代とともに変化しているので、「バレンタインデー」はもちろん、近年は「ハロウィン」も季語として使われているのは意外かもしれませんね。

今回は、そんなクリスマスと俳句との関係について調べてみました。


「クリスマス」のトリビア

1)「クリスマス」と「冬至」との関係

クリスマスは、12月25日、ローマ教会がキリストの誕生日(実際は不明)を降誕の祝日と定め(降誕祭)、その前夜から当日にかけて、教会や家族で儀式を行うことをいいます。その前夜をクリスマス・イブ(聖夜)、クリマスツリー(聖樹)を飾り、クリスマスケーキ(聖菓)や七面鳥などを食べお祝いします。

しかし、もとは太陽の新生を祝う冬至の祭りから変わってきたものといわれているのです。

ご存じのように、二十四節季の「冬至」(今年は12月22日)は、北半球の一年で昼が一番短い日であり、日本では柚子湯に入ったり、カボチャを食べるなどの習慣が残っていますね。この日を境に太陽の角度が上がっていくので、古代中国では、太陽が復活する日「一陽来復(いちようらいふく)」と呼びました。

ヨーロッパとアジア、場所は違っていても、“冬至を祝う行事がクリスマスの始まり”だというのは興味深いですね。(参照:俳句歳時記(春~新年) 角川学芸出版 角川文庫)

2)日本の「クリスマス」のルーツ

日本のクリスマスのルーツは、1560年代にフランシスコ・ザビエルが信徒を集めてミサを行ったのが始まりといわれ、その後織田信長がクリスマスに休戦したという記述が残されています。江戸時代の鎖国によっていったん姿を消しますが、1873(明治6)年に禁教令が説かれると復活。信徒以外にも広がったといわれています。

1904(明治37)年に銀座の「明治屋」が初めてクリスマスツリーをディスプレイし、1910(明治40)年に「不二家」が初めてクリスマスケーキを販売したそう。当時苺はなかったので、シンプルなケーキだったようですよ。ちなみに、クリスマス用品などは明治21年ころから輸入されていたそうで、明治後半には、クリスマスは庶民に定着していたと思われます。(参照:日本文化研究ブログ)

(イメージ)

(イメージ)


「クリスマス」を最初に詠んだのは誰?いつ?

最後に、クリスマスと俳句についてお話ししましょう。

前述したように、100年ほど前にはクリスマスは俳句として詠まれているのですが、100年前といえば明治のころ。日本が西洋文化を盛んに取り入れていた時代です。新しもの好きで、野球を日本に広め、文壇で活躍していたといえば……?

そう! 正岡子規(1867~1902)でした!

最初の句は明治25(1892)年、25歳のとき。

〈臘八のあとにかしましくりすます〉

「臘八(ろうはち:厳粛な仏教行事)のあとのクリスマスという行事は少々やかましいな~」

肺結核で療養中の明治29(1896)年、29歳のときには、

〈八人の子供むつまじクリスマス〉

「八人の子どもが仲よく過ごすクリスマスはいい行事であるな~」

というように、最初の句は「くりすます」とひらがなで書き日本らしさを残そうとしていますが、次には「クリスマス」とカタカナになっています。これが日本で最初のカタカナの季語といわれているそうですよ。(参照:ヒラメキ工房)


季語「クリスマス」のその先とは?

いかがでしたか?── 言葉や漢字の成り立ちを知ることは、日常生活に膨らみを持たせてくれるはず。

明治時代の後半には定着していたとされるクリスマス。子規の俳句や季語の変遷をふまえると、より時代背景がわかり、俳句から学べる歴史も面白いのではないでしょうか。

「クリスマス」や「バレンタインデー」「ハロウィン」と、刻々と進化する季語。これからどんな言葉が季語となり「知って得する季語」となるのか。時代の変化とともに楽しみに待っていたいですね。

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