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大正ロマンの香り濃い「銘仙」は時代を牽引するファッションだった!


この時期は気候も安定していて、着物を着るのにもってこいの時期です。『寒い』と思われがちですが保温・保湿に効果の高い素材の絹が使われていることや、重ね着の原型とも言える着こなし、小物などにも防寒グッズが販売されていたりと、とても暖かく過ごすことができます。

「銘仙」と呼ばれる、自由奔放な色柄の絹織物をご紹介します。形式にこだわらずに着れる銘仙。ハレの日だけではなく日常の中で、おしゃれの一つとして着物を楽しんでみませんか?

明治・大正から昭和へ、新時代に移りゆく近代化の波の中、都市文化が花開き一般庶民へと広がっていく時代に女性達の間で爆発的ブームになった銘仙。その歴史を流行り目線で紐解いてみましょう。


始まりは明治から

古くは、明治初年より女学生が袴を用いることが始まり、その袴の上着として銘仙が流行りだしました。その後、関東では八王子、秩父、桐生、村山、館山、佐野などがこぞって銘仙を生産。それぞれに特徴ある柄や織りなどで競い合い、発展をしました。大正に入るとこの流行が関東だけではなく関西にも飛び火し、派手な大柄がブームとなりました。


大正のインフルエンサー?

第一次世界大戦後、世界的な大恐慌が起こりました。民衆の絶望的な嘆きを歌った「枯れすすき」や「籠の中の鳥」などのメロディが巷に流れていた時代。バーで働く女給に縞柄の銘仙が流行しました。その後、画家や作家が集まった東京・京橋の「カフェ プランタン」や銀座の「メイゾン 鴻の巣」「カフェ・バリスタ」でも派手な縞柄の銘仙を着た女給達が接客をしていました。


昭和のインフルエンサーもやっぱりおしゃれな職場だった!

昭和初期には空前の銘仙ブームが起こります。度々の社会的不況から退廃的なデカダン(人間として精神的な高みを目指さず、既成の道徳や価値観を否定したり、「美」だけを追い求める)な風潮が生まれ、カフェーやバーなどが賑わいをみせました。そこに勤める女性達が着ていた銘仙が大流行。一般の女性へ大きな影響を与えました。また当時はダンスホールもかなり賑わっていて、ダンスホールの女給も銘仙を身につけていて、色や柄など時代の流行を牽引する存在だったようです。

また昭和30年頃には戦後の復興と開放感、また憧れからアメリカンデコの銘仙がブームになりました。


もっと知りたいならここ!「ちちぶ銘仙館」

秩父織物や銘仙などに関する展示などもあり、染織りなどの体験もあります。

「ちちぶ銘仙館」

<所在地>埼玉県秩父市熊木町28-1

<連絡先>Tel: 0494-21-2112

<休館日>年末年始(12月29日~1月3日)以外は無休

※その他詳しくは公式ホームページをご確認ください。



参考 別冊太陽「銘仙」/平凡社

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