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KIK(蚕)は4度寝る!? 七十二候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」


5月21日より、小満(しょうまん)の初候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」となりました。原産地である中国の七十二候では項目のなかった蚕について、日本では最初の和暦である貞享暦から取り入れました。養蚕農家は冬眠期の冬を除き、年間3~5回の養蚕生産を行いますが、この時期、5月初旬にハキタテ(生まれたばかりの蚕の幼虫を蚕座紙に掃き落とす作業)された蚕が成長し、蚕の大事なえさとなる落葉木の桑も葉を茂らせ、春蚕(はるご)の養蚕の最盛期にあたります。ミツバチと並び家畜昆虫の代表である蚕ですが、その姿や生態は、時代により大きく変遷してきました。


蚕の神秘「眠(みん)」とは

蚕(かいこ・Bombyx mori)とは、鱗翅目カイコガ上科(Bombycoidea)カイコガ科に属する蛾の一種で、古代中国で原種にあたる野生のクワコを飼いならし、人間が作り上げた種。カイコガ上科は蝶・蛾の中でも特に美しいヤママユガ科とスズメガ科が属する見目麗しい一族で、カイコガもその真っ白でふわふわした成虫の姿が愛らしいことでも有名ですね。

蚕は変態昆虫で、幼虫から成虫になるための変態期間であるさなぎを覆う繭を自ら作り出し、その繭を解いたものが絹糸、つまりシルクになるということはご存知のとおりです。

蚕の寿命は卵から孵って約50日。さなぎになる前の幼虫期は26日ほど。この間脱皮を繰りかえして大きくなりますが、卵から孵った毛蚕(けご)または蟻蚕(ぎさん)と呼ばれる、約3ミリの黒っぽい毛虫の第一齢を経て脱皮して、よく知られる白っぽい芋虫の姿に変わりますが、この最初の脱皮をあわせて4回の脱皮を行います。本来は3回または5回の脱皮をするのが自然な習性なのですが、4回脱皮を経た場合の繭の大きさと質がもっとも優れているため、人間によって4回の脱皮に調節されているのです。最終齢(熟蚕)の頃には大きさは8センチ以上にもなります。

この脱皮の時期の前後、蚕はそのつど「眠(みん)」と呼ばれる休眠をします。わずかに糸を吐き、上半身を浮かせた形で自身を固定して一日前後、まったく動かなくなるのです。その間に新しい皮膚組織や呼吸器官が刷新され、古い皮を脱ぎ捨てて、新しい大きな姿に生まれ変わります。脱皮した後もしばらく皮膚を乾かすために「眠」を継続し、やがてまた旺盛に桑の葉を食べだす、ということを繰りかえすわけです。つまり、蚕は幼虫の期間中、4回の深い眠り、擬似さなぎの状態を繰りかえして大きくなるのです。


毒葉を食らえどまったく平気!蚕の超偏食は実はすごかった

蚕は中国で約5000年~6000年ほど前の新石器時代から飼育が始められ、日本には1800年程前には渡来したと推測されています。先述したとおり、蚕の先祖はクワコ(桑蚕 クワゴとも)で、その名の示すとおり、蚕が桑を主食とするのはクワコから受け継いだ習性です。

しかし2006年、桑の葉の乳液(葉をちぎるとにじみ出る液体)には糖類似アルカロイドという消化や成長を阻害する毒性物質が高濃度で含まれていて、それが昆虫からの食害の防御になっていることが明らかになりました。クワコは、ある時期この毒に対して耐性が生まれ、自然界でほぼ独占状態でくわ科の葉を食べ放題することが出来るようになったようです。桑の葉でカイコ、クワコ以外の蛾の幼虫を育てても、全て数日中に死んでしまいます。これにより高たんぱくで栄養豊富な桑の葉が、昆虫による食害が少ないことの謎が明らかになりましたが、逆に環境の変化や農薬にも弱く、また家畜化される過程で運動能力も著しく退化させたカイコが、なぜ桑にふくまれるアルカロイドに耐性があるのかという謎が生じました。

調査の結果、カイコの腸にはスクラーゼという無毒化させる物質が存在していること、スクラーゼを生成する遺伝子が、腸内に在住していた細菌から水平転移したらしいことが明らかになりました。そうした遺伝子形質の獲得がいつごろ、どのようにして起きたのか今もなお不明ですが、カイコの原種であるクワコの幼虫も毒牙や毒毛をもつわけでもなく、きわめておとなしい性質で、枝に擬態するくらいしか身を守るすべがありません。そうした種が生存競争に勝つには、みんなが避けて通る桑の葉を食べることにあえて特化する能力を得ることを選択した結果かもしれません。

現在の蚕は、頭部に集中した感覚器で桑のみをかぎ分け、桑や桑を原料にした人工飼料を食べます。感覚器が壊れるとさまざまな葉を食べるようにはなりますが、成長することは出来ずに死んでしまうのです。


江戸時代、蚕は飛んでいた?品種改良でいじられ続けて飛べなくなった蚕

だいぶ以前、筆者が埼玉県の秩父や山梨に旅行した際、大きな屋根の上部に格子窓がついた小さな屋根が乗っているかたちの古い農家があちこちにあり、なんだろうなあれは、と興味深く思っていたのですが、後年それが蚕室の窓だと知りました。

古くから養蚕農家は、自宅の暖かい屋根裏で蚕の幼虫を育てる蚕室を作っていました。山梨県の薬袋(やたい)などでは、屋根の中央を浮かせた大規模なやぐら造りの農家が見られ、民家としても特異な形態が見られます。採光・通風用の窓を設けた蚕室には、外からの昆虫の飛来も多く、日本在来のクワコのオスやメスが、蚕室に入り込み交尾をして雑種を作ることも極めて頻繁で、このようなイレギュラーによって多くの蚕種が生み出されました。

かつては全国のあちこちで、地域色豊かなさまざまな蚕が作られていたのです。繭の色も形もさまざまで、ころっとした丸い繭もあれば、俵型、鼓型などがありましたが、基本的には中央がくびれて落花生に似た鼓型の繭が多かったようで、現在の私たちが見かける鶏卵のような楕円の形とは違っていました。ちなみにこの落花生のような形を分類上「日本種」といい、中国種や欧州種・熱帯種とちがって、日本クワコとの交雑が生んだ日本独自の繭の形です。

そして、江戸時代以前には蚕の成虫の多くは飛んでいたようです。

古事記下巻1・仁徳天皇の章には「奴理能美之所養虫、一度爲匐虫、一度爲殻、一度爲飛鳥、有變三色之奇虫。」とあり、奴理能美(ぬりのみ)が飼う虫(蚕)が、最初は這う虫に、次に鼓型の繭となり、そして飛ぶ鳥となる、と記されていて、古代、百済などからの渡来人の飼育する蚕が飛んでいたことがわかります。

また、江戸時代には錦絵で養蚕の様子が絵に描かれていますが、多くの絵で蚕室の周囲で蚕の成虫が飛んでいます。

江戸時代中期、「青熟」「角又」「鬼縮」「琉球多蚕繭(玉繭)」「大草」「金丸」「種ヶ島」「白龍」など、さまざまな品種が開発されました。輸出用の絹として着色繭の紅系統の「赤熟」、碧色の「青白」「大如来」、金黄色の「乞食」「金色」などの生産が盛んとなる一方、現在のシルクの主流である純白の繭「小石丸」「又昔」なども登場、糸の太さや形質などにもバリエーションが豊富になっていきました。

明治時代になると、絹は重要な輸出産業となり、大量生産が求められるようになります。より効率的に多くの絹糸を得るために、江戸時代以来の日本種である小粒の繭は用いられることなく衰退し、大正期に確立した一代雑種(在来の種と種を一代限りかけ合わせて優良な世代を作る)による「雑種強勢」の技術でシルクの生産量はピークに達しました。蚕が「飛べなく」なったのはこの時期からだと考えられます。

現在日本では、研究所や大学に遺伝子資源として保存されているものも含め、約600種類もの品種が存在します。今養蚕農家で生産される蚕は、全て雑種強勢を目的にした一代雑種です。そして、原蚕種管理法によって品種は管理されていて、個人が勝手に新しい雑種を作ることは禁止されています。

古くより「お蚕さま(おこさま)」と呼ばれ、福財をもたらす神としても信仰されてきた蚕。今、蚕が生存能力ゼロで人に頼りきりであるためかわいい、と一部でブームにもなっているようですが、こうした蚕の姿は長年の飼育で行き着いて定着した、なれの果てではなく、一代雑種で作為的にそうさせられているものなのです。逆に言えば、普通の世代交代をさせてあげれば、数世代後(蚕の世代交代からいえばわずかな期間)には蚕は飛ぶことが出来るようになる、ともいえます。九州大学の藤井博名誉教授は、成虫の中に羽ばたく力が強く、上から落とすと水平滑空する個体があることを観察し、十数世代をかけてこうした個体をかけあわせたところ、元気に飛んでいく蚕が生まれた、といいます。

それでは蚕農家が困るのかもしれませんが、よたよたと飛べない姿ではなく、元気に空に飛ばせてあげたいとも思いますね。

参照サイト

カイコ・お蚕さま:http://www3.famille.ne.jp/~ochi/kaiko/index.html

シルク豆辞典:http://web.tuat.ac.jp/~kaiko/04/Silkreport%202015%20No.40.pdf

蚕糸・昆虫バイオテック77

プレスリリース クワは乳液で昆虫から身を守る

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