遺伝性乳癌卵巣癌の治療に用いられるPARP阻害薬品の治療効果を決定する因子を解明
PARP阻害治療薬品は2018年に国内で承認されたBRCA遺伝子変異陽性の遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC症候群)の治療薬である。抗癌剤は一般に副作用が強い為に、治療開始前にその治療効果を予測することが望ましい。いままでBRCAタンパク質の機能が正常か否かのみしか治療予測の手段がなかった。今回、XRCC1タンパク質の機能がPARP阻害治療薬品の治療効果に決定的な影響を及ぼすことを、東京都公立大学法人東京都立大学(大橋隆哉学長)理学研究科の廣田耕志教授と国立大学法人京都大学(湊長溥総長)大学院医学研究科の武田俊一教授が共同で、世界で初めて明らかにした。
2.発見の背景
DNAは細胞内で代謝反応物などの影響で毎日多数のDNA損傷を受けている。DNA損傷の中でも、特にDNAに書かれた文字情報(ACGT)の部分を担う塩基の損傷は最も頻繁に見られ、その修復は生き物にとって重要である。DNAやその損傷の修復酵素は、抗癌治療の標的でもある*1。このような損傷の修復には塩基除去修復*2が機能することが解明され、2015年にはノーベル化学賞の対象となった。この修復機構は酵母からヒトまで保存されたユニバーサルな機構であるが、ヒトを含む動物細胞ではPoly[ADP ribose]polymerase (PARP)とXRCC1と呼ばれるタンパク質が新たに修復のコーディネーターとして機能していることが知られている。PARPはDNA損傷のセンサーとして働き損傷箇所に印をつける。その後、XRCC1が修復に関与するタンパク質群を動員させることで、損傷が修復されることが知られていた(図1)。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202106035840-O3-QJC8i5Ua】
これまでに、様々なPARP阻害薬品*3が開発され、これらの薬品はBRCA遺伝子変異陽性の遺伝性乳癌卵巣癌症候群*4の治療薬品として使用されている。これらの治療薬品はPARPの活性を阻害してDNA損傷に結合したPARPの解離を阻害し、PARPが切れたDNA末端に結合した構造をもつ「PARPトラップ*5」と呼ばれる有毒な中間体を安定化・蓄積させることで、癌細胞を殺傷して増殖を抑える(図1)。
廣田耕志(東京都立大学理学研究科教授)の研究室では、DNAのキズを修復するメカニズムについて、国際的な共同研究を行っている。廣田耕志教授と武田俊一教授(京都大学医学研究科)は、カルデコット教授(サセックス大学)と共同で、XRCC1がPARPトラップの解消における決定的因子として機能することを発見した。
3.発見の詳細
今回、廣田耕志教授と武田俊一教授は、DNA損傷に対するPARPとXRCC1の動きについて詳細に解析を行った。ゲノム編集技術でXRCC1遺伝子を欠損させた細胞は、DNA損傷剤に対し大きく細胞生存率の低下を示した(図2)。一方、PARPを欠損させた細胞はXRCC1欠損細胞ほど大きな細胞生存率の低下は示さなかった(図2)。興味深いことに、XRCC1欠損細胞からPARPをさらに欠損させた二重欠損細胞では、大幅な細胞生存率の回復が見られ、PARP単独欠損と同程度の生存率を示した(図2)。この発見は、これまでPARPとXRCC1がいつも一緒に損傷修復に寄与するという教科書的なドグマを覆す意外な発見であるとともに、PARPが有毒な効果を細胞内で発揮していて、XRCC1がこの毒性を抑えていることを示している。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202106035840-O2-cR3uiKTh】
さらに、XRCC1欠損細胞では有毒なPARPトラップがPARP阻害薬品を投与していない状況でも大量に蓄積していることを発見した(図3)。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202106035840-O1-axH6NWc5】
これらの結果から、XRCC1がPARPトラップの解消における決定的因子であることが示されるとともに、遺伝性乳癌卵巣癌症候群の治療に用いられるPARP阻害薬品の治療効果の決定因子となることが示唆された。今後の医療展開に向け、実際の医療現場で使用されているPARP阻害薬品やDNA損傷誘導性の癌治療薬品とXRCC1遺伝子の関係やそれらとのシナジー効果について、さらに解決すべき課題が残っている。
4.意義と波及効果
今回の研究では、遺伝性乳癌卵巣癌症候群の治療薬品として使用されているPARP阻害治療薬品が誘導するPARPトラップの解消にXRCC1が寄与することを示した。このことから、XRCC1はPARP阻害治療薬品の治療効果の新しい決定因子であることが解明された。この研究成果は、治療効果の予測や新規の抗癌剤開発などへの応用研究に結びつくことが期待されている。PARP阻害薬の問題は、治療開始直後に非常に有効であるが、その後にPARP阻害薬耐性の癌が再発することである。この研究成果は、再発機構の解明に役立つ。
最初に、新規の癌治療への波及効果について解説する。XRCC1遺伝子の発現低下や変異による活性低下を示す癌細胞では、PARPトラップの解消が不良となっていることが予想される。XRCC1遺伝子の癌細胞での状況(発現や変異)について治療前に診断し、XRCC1遺伝子変異(または機能低下)の細胞にもBRCA遺伝子変異陽性乳癌の治療にすでに用いられている様々なPARP阻害薬品が有効であると推定できる。さらなる研究で、このようなXRCC1遺伝子の状況に基づいた治療に繋げられることが期待される。さらに、XRCC1欠損細胞ではDNA損傷剤(DNAのメチル化など誘導)に高い感受性を示すことから、従来の脳腫瘍の治療に用いられているDNAメチル化薬品等がXRCC1遺伝子変異(または機能低下)をもつ癌細胞の治療に有効である可能性が高い。これらのPARP阻害薬品やDNAメチル化薬品等の間のXRCC1変異とのシナジー効果について今後さらに検討を進め、新しい治療に結びつくことが期待される。
次に、新規の抗癌剤開発への展開について解説する。上記のように、XRCC1の機能低下は大幅なPARP阻害薬品に対する増感作用が見込まれる。XRCC1をターゲットとした薬品が開発できれば、既存のPARP阻害薬品を大幅に増感でき、BRCA遺伝子変異陽性乳癌以外の広範な癌の治療への応用も見込まれる。最後にXRCC1は、治療前に治療効果を予測するバイオマーカーとして利用し得る。
以上のように今後、本研究成果が新しい医療や医薬品開発などの応用に結びつけられる事が期待される。
【論文情報】
タイトル:XRCC1 prevents Toxic PARP1 trapping during DNA base excision repair
著者:Annie A. Demin, Kouji Hirota, Masataka Tsuda, Marek Adamowicz, Richard Hailstone, Jan Brazina, William Gittens, Ilona Kalasova, Zhengping Shao, Shan Zha, Hiroyuki Sasanuma, Hana Hanzlikova, Shunichi Takeda, and Keith W Caldecott
DOI:10.1016/j.molcel.2021.05.009.
6月7日付け(米国時間)のMolecular Cellオンライン版で発表
【用語解説】
*1 DNAやその損傷を修復する酵素を標的とする抗癌治療
DNAを標的とする抗癌治療は広く使われている。典型的な例は、放射線治療である。放射線は、非常に効果的な抗癌治療であると同時に、発癌性も併せ持つ。シスプラチンやカルボプラチンのような抗癌治療薬も、染色体DNAを傷つけてその抗癌活性を発揮する。癌細胞の一般的特徴として活発に細胞分裂をすることが知られている。DNAの損傷により正しく細胞分裂が行われず細胞死につながることが、DNAを標的とした癌治療の原理である。しかし、これらの抗癌治療薬は、発癌活性のみならず、活発に分裂している正常組織(造血組織など) にも強い毒性を発揮してしまうことが課題となっている。
損傷を修復する酵素を標的とする抗癌治療薬は、以上のような副作用が小さく、悪性腫瘍のみを選択的に殺すことができる第2世代の抗癌治療薬である。DNA損傷修復酵素は、複数種類の酵素が互いに重複した機能を持っている。野球の守備に例えれば、セカンドとショートのようなものである。癌細胞では頻繁にDNA修復酵素が変異により欠損(または減弱)している。癌で欠けているものは、いわば、セカンドに例えられ、 そして標的となる修復酵素はショートに例えられる。DNA修復酵素阻害治療薬は、セカンドがしっかり守備をしている患者の正常組織には毒性を発揮できないが、セカンドがいなくなった癌にだけ強い毒性を発揮するのである。
PARP阻害治療薬は、このDNA損傷修復酵素を標的とする抗癌治療薬の一種である。この薬品は、ショートの野球選手を働けなくするだけでなく、ショートが味方の守備を積極的に邪魔するようにせしめる。このことからPARP阻害治療薬は、PARPポイズンとも呼ばれている。
*2 塩基除去修復
酸化やメチル化などの塩基の化学修飾による損傷の修復を担当する修復システム。塩基の除去、DNA鎖の切り出し、新しいヌクレオチドの埋め込み、DNA鎖の糊付けの修復過程からなる。
*3 PARP阻害薬品
PARPタンパク質はタンパク質にPoly(ADP-ribose)を重合させ、損傷部位にある種の印(図1中の黄色の丸)をつける活性をもつ。PARPタンパク質自身にもこの印が付けられる。この損傷箇所の印に修復タンパク質を動員した後PARPタンパク質は損傷箇所から乖離する(図1)。PARP阻害薬品により、PARPが印をつける活性を阻害されると、損傷場所に結合したままトラップされてしまう(図1中のPARPトラップ)。これにより修復は大幅に阻害され、BRCA1やBRCA2に依存した別の修復を必要とする、より「厄介」な損傷が発生する。PARP阻害治療薬品は2018年に国内で承認された。現在、進行卵巣癌、転移性去勢抵抗性前立腺癌、転移性膵癌への治療が保険適用されている。
*4 遺伝性乳癌卵巣癌症候群
優性に遺伝する乳癌と卵巣癌。BRCA1またはBRCA2 遺伝子の変異が原因となって引き起こされる。乳癌全体の3−5%、卵巣癌全体の10−15%を占める(日本HBOCコンソーシアムの資料から)。 前立腺癌と膵臓癌の発症率も高まる。
*5 PARPトラップ
「PARPトラップ」とは、例えれば、PARPが味方の守備を積極的に邪魔する状態である。今回の研究では、PARP阻害治療薬を服用しなくても、XRCC1が無くなるとPARPが「味方の守備を積極的に邪魔」し出したことを発見したのである。つまり、XRCC1が無い時に、PARP阻害治療薬を服用するとPARPが強烈にDNAを損傷しはじめた(損傷を修復するのではなく)ことを発見したのである。
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