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飛行機好きの少年が…仲間奪った特攻隊機 「戦争はやるものでない」


 太平洋戦争の記憶継承が課題となる中、茨城県小美玉市生涯学習センターで戦争体験者らによる4年ぶりの講演会があった。2人の経験者が被爆体験や、陸軍飛行学校での日々を語り「仲間を奪い、多くの人びとを傷つけた戦争を二度としてはならない」と訴えた。【鈴木美穂】

 太平洋戦争の体験を伝える会、市玉里史料館が2日に共催し、10~80代以上の約70人が市内外から参加した。2015年度に始まり、新型コロナ禍を除き毎年度開催している。

 登壇した鉾田市の市村清成さん(94)は旧徳宿(とくしゅく)村(現鉾田市)生まれ。地元の国民学校高等科卒業後の1943年、鉾田陸軍飛行学校の整備員となった。同校は当初、軽爆撃機の乗員らを養成していたが戦局が悪化すると44年6月、鉾田教導飛行師団に改編、陸軍最初の特攻隊「万朶(ばんだ)隊」などが編成された。

 市村さんは「飛行機が好きで13、14歳の頃に整備員となった。整備した飛行機のエンジンをかけるのが難しくてね」と回想し「ほとんどの人がもういねぇんだ」とつぶやいた。整備員仲間の多くが特攻隊の帯同や空襲などで戦死。市村さんは終戦から長い時間が経てそのことを知った。

 講話後、取材に「戦争はやるものでない」と語り、ロシアによるウクライナ侵攻など世界で続く戦争に「幼い子供が犠牲になることはやってはいけない」と訴えた。

 水戸市の茂木貞夫さん(90)は小学6年生だった45年8月6日、広島市で被爆した。爆心地から1・1キロの中島国民学校に向かう途中、「目の前に稲妻のような光がピカーッとなって吹き飛ばされ、塀の下敷きになっていた」。顔や手にやけどを負い、半年間目を開けることができなかったという。暗闇の中で迎えた8月15日。母から「戦争は終わった」と聞かされ「ああ良かった」と声が漏れた。

 戦後、一家は父の故郷である茨城県に移った。被爆時、一緒に登校していた同級生は行方が知れない。悲惨な記憶を風化させまいと茂木さんは97年に語り部となった。「戦争のない明るい社会なら被爆者も出ないし、誰も傷つかない。他国の人とも仲良く、原爆のない世界にしなければ」と次世代に託した。

 小美玉市の小学6年生、神田慈生(いつき)さん(12)は「戦争体験者に直接お話が聞ける貴重な機会なので参加した。子供世代が戦争の現実を知ることが今後のためにも大切だ。学校でも聞く機会があればもっと理解が広がると思う」と話した。

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