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織田信長が客人もてなした場所? 岐阜城の発掘で新たな姿浮かぶ


 岐阜城がある金華山(岐阜市)の山上部分の発掘調査で、丸く平らな石や陶器の破片が多数見つかった。石は庭園の部材だった可能性があり、調査した岐阜市の担当者らは、織田信長が客人をもてなす供応施設を山上部分に整備したのでは、とみている。これまで山のふもとの信長の居館に庭園があったことは知られていたが、今回の発見で岐阜城の新たな姿が浮かび上がった形だ。

 遺物が見つかったのは、岐阜城天守南側に向かう通路(幅約4メートル)の西側斜面。東側斜面には2段の石垣があるが、西側は1段しか露出しておらず、地中にさらに石垣があるとみて2023年10月から発掘していた。

 調査の結果、通路から約6メートル下の斜面で石垣が確認された。さらに石垣の前面に堆積(たいせき)していた土(奥行き約50センチ、幅約70センチ)の中から、「円礫(えんれき)」と呼ばれる直径3~15センチ程度の丸く平らな石115点と、「かわらけ」と呼ばれる素焼きの陶器の破片21点が出土した。

 円礫は池の縁を飾ったり、底の部分に敷かれたりすることが多かった。かわらけは宴席の飲食用に使われ、形状から信長の孫で岐阜城主だった織田秀信時代の物とみられている。

 石垣は積み方の特徴から信長時代に築かれたとみられ、通路には現状より広い部分があった可能性もあるという。市文化財保護課の高木晃・岐阜城跡整備推進室長は、信長が庭園を備えた供応施設を築き、その後の城主が受け継いだのでは、と考える。その上で今回出土した遺物は、1600年の関ケ原の戦いの前哨戦で岐阜城が落城した際に、施設から崩れ落ちた物と推定している。

 岐阜城に関連した市のこれまでの発掘調査では、金華山のふもとの信長の居館跡でも、庭園とみられる跡地などが見つかっている。信長の元を訪れた宣教師ルイス・フロイスは居館の豪華さとともに、山上で景色を楽しんだことも記録する。信長が金華山のふもとと山上に設けた施設を生かし、客人をもてなした姿が想像される。高木室長は「施設の存在などはまったく予想していなかったので、衝撃的な調査結果だ」と話す。

 滋賀県立大の中井均名誉教授(日本城郭史)は「山上に庭的空間があり、さらに石垣の上部が供応が催された場所である可能性が出てきたことで、これまでイメージしていた岐阜城の姿に修正を迫る歴史的な発見と言える」とコメントした。【安達一正】

   ◇  ◇

 市は写真パネルなどを使った一般向け現場説明会(西側斜面は危険なため非公開)を10日午前10時~午後3時に開催し、午前10時と午後2時には職員が説明する。17日午前10時~同11時半には、美濃国守護・土岐氏が築いた大桑城の調査を進める岐阜県山県市とともに「岐阜城・大桑城調査成果オンライン報告会」も行う。報告会は「ぎふ長良川めぐるツアーズ」のホームページから事前申し込みが必要。

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