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秀吉の自己顕示欲くっきり お手柄アピールに信長側近から返事


 織田信長の側近武将らが羽柴(豊臣)秀吉に宛てた書状などの写し34通が見つかった。戦国時代、信長に仕えた秀吉は自分の手柄を殿の耳に入れようと、戦功を書きつづって多数の側近に送っていたようだ。書状は、受け取った武将らが当惑しながら書いた秀吉宛ての返書とみられ、その手柄を「ヨイショ」する内容も。信長と秀吉の関係性や2人の性格を示す史料として注目される。

 東京大史料編纂(へんさん)所の村井祐樹准教授(日本中世史)と兵庫県立歴史博物館(姫路市)が8日、共同で発表した。村井准教授によると、2022年1月、1578(天正6)~82(同10)年ごろの書状35通をとじた江戸後期の冊子をインターネットオークションで東京都内の古書店から購入した。冊子の序文には、姫路藩主・榊原家などによって原本から3~4回の筆写を経ていると書かれていた。

 うち1通は大東急記念文庫(東京都)に原本が残されており、比較すると、筆跡や花押(サイン)、改行までそっくりだったという。村井准教授らは「原本に忠実に写された書状群と考えられる。秀吉が一時居城した姫路城に残されたものが筆写を繰り返して伝わったのではないか」としている。

 今回見つかった34通のうち少なくとも16通は、信長に近い武将らが秀吉に宛てたもの。これらは全て、この時期に秀吉が播磨や中国地方平定のために指揮した「三木合戦」や「鳥取城攻め」を伝える内容への返書だった。多くは冒頭に「随分ご無沙汰しています」などと書かれ、秀吉から唐突に届いた書状に驚いた様子が読み取れるという。

 中でも、武将8人が連名でしたためた返書では、秀吉軍が三木城を囲み、城主・別所長治を兵糧攻めで滅ぼした三木合戦について「(合戦の)絵図を拝見して驚きました。別所は羽でもできて飛び立たない限り脱出できないと感じ入っております。さすがのお手柄と存じます」などと持ち上げている。

 残る18通の中には、秀吉が別所氏の裏切りにあったことや、その報告が遅れたことへの言い訳を長文で記した信長宛ての1通もあった。何らかの理由で発出されずに残ったらしい。

 村井准教授は「何でも報告させたがる信長、何とか信長に認めてもらおうと工作する秀吉。両者の性格がよく表れている。書状を受け取った武将はさぞかし迷惑だっただろう」と話している。

 一方、秀吉が信長の側近宛てに送った書状は確認されていない。

 新史料は4月6日~7月7日、兵庫県立歴史博物館1階ギャラリーで展示する(無料)。同館(079・288・9011)。【村元展也】

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