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石川・輪島出身記者が検証 母の命救った備えと機転 能登半島地震


 能登半島地震発生からまもなく1カ月となる。初詣に行ったり、おせちを食べたりと、お正月の華やいだ雰囲気を一瞬にして吹き飛ばした今回の地震。被災した実家がある石川県輪島市を取材し、逃げ出して無事だった母(87)の証言から、改めて非常時への備えが重要なことを思い知らされた。母の命を救ったのは何だったのか。助かった後、ライフラインが壊滅的なダメージを負った町で何が必要になったのか。改めて検証してみたい。【山中尚登】

 1日午後4時6分、能登地方で最大震度5強を観測する地震が発生。その約4分後、さらに大きな揺れが輪島市を襲った。25日に気象庁は同市門前町走出の地震計が震度7を観測していたと発表した。

ガラス戸割って外へ

 母は足腰が悪く、普段はものにつかまったり、つえをついたりしないと歩けない状態。当時、1階の居間付近にいた母は最初の揺れでは避難していなかった。しかし、その後の大きな揺れを感じると、玄関からではなく、中庭側のガラス戸を素手でたたき割り、裸足で外に逃げ出したという。

 私が3日昼過ぎ、実家にたどり着いた時、玄関から居間に向かおうとすると、タンスやふすま、柱、壁などが倒れ、まさに足の踏み場もない状況だった。今回の地震で石川県が18日までに氏名を公表した死者80人のうち、8割を超える69人が家屋倒壊によって亡くなっていた。もし、母が玄関から避難しようとしていたら、命が助からなかったかもしれない。

手元に貴重品と上着

 しかし、冬の輪島の屋外は厳しい寒さにさらされる。感心なことに母は財布や通帳のほか、厚手のジャンパーを手元に置いていたため、すぐに家から離れて避難所に向かうことができた。しかし、健康保険証や常備薬は別のところに置いていたので、持ち出すことはできなかった。この母の証言を聞き、名張に戻った私は、就寝の際は、手元に財布や通帳、カメラ、パソコンをカバンなどにまとめて入れて、非常時の際はすぐに持ち出せるようにしている。

 懐中電灯、ラジオ、冬場ならカイロ、軍手、着替用下着(靴下も含め)の用意も必要だが、簡易スリッパなどを手元に置いておくとことも重要だと感じた。裸足で逃げ出した母は幸いにも大きなけがはしなかったが、ガラス片などで足をけがする可能性は高い。また、落下物から頭を守るためヘルメットがあると良いが、帽子やタオルなどをかぶって、頭を守ることも忘れてはいけない。非常時には気が動転し、普段なら避けられる障害物でも頭をぶつける。母は防寒のため常に頭巾みたいなものをかぶっていたので軽傷だった。

 母はその後、石川県内の親族の家に身を寄せることになった。しかし、輪島市の避難所には実家の近所の人たちが多くいた。その人たちからは、電気、ガス、水道などのライフラインが使えないと不満の声が上がっていた。特に水洗トイレが使えないことが一番の不便と訴えていた。

 どこの避難所もトイレの水が流せず、便があふれ、衛生的にも厳しく、さらに感染症の恐れが心配されていた。飲料水や食料も必要だが、トイレを我慢して、飲食を我慢しているように思える人もいた。トイレの復旧を急ぐとともに、携帯用トイレなどを事前に備蓄し、非常時の際はそれを配布する必要性を感じた。

燃料、常に「満タン」を

 自家用車のガソリンについて、ある防災対策講演会で、ガソリンは半分なくなったら、満タンにすれば良いとの話を聞いた。しかし、被災地を取材して、この考えは通用しないのではないかと感じた。交通網が寸断された被災地にはガソリンや支援物資は陸路では届かない。空港も被害を受け、空輸もままならない。徐々にガソリンスタンドは営業を再開したが、給油は量や金額で規制され、満タンにはできなかった。それ以上に、給油する車が列を作り、何時間も待つしかなかった。「常に満タンにしておく」。その心構えが大事なのかもしれない。

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