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72時間生き延びた母は2日後に 傍らで先に逝った弟も送った兄


 能登半島地震で倒壊した石川県輪島市の住宅の居間から、生存率が急激に下がるとされる「発生後72時間」を過ぎて助け出された女性がいる。外(そと)節子さん(89)だ。救助した大阪市消防局の担当者が「奇跡的」と振り返ったケースだが、節子さんはその2日後に亡くなった。長男の会社員、武志さん(60)は「最後に声を聞けてよかった」と静かに話す。

 地震が起こった元日の夕方、武志さんは自宅のある金沢市内にいた。節子さんと弟の忠司さん(58)が住む輪島が震源に近いと知り、電話したがつながらない。翌2日、輪島の親戚から「節子さんの家がつぶれている」と聞かされた。武志さんは「大津波警報も出ていたので、2人は避難所に逃げたと信じていた」。3日午後に車で輪島に向かったものの、道路寸断や渋滞などで9時間たってもたどり着けず、引き返した。

 4日午前に輪島行きの準備中、節子さん宅の近くに住む同級生から「中に(節子さんと忠司さんが)いるかもしれない」と連絡があった。そして午後4時過ぎ、消防から「女性がいる。手が動いている」、続いて救出後に「生きています」と電話があった。一方、忠司さんは助からなかった。

 5日の早朝、搬送された病院に節子さんを訪ねると「もしもし、ありがとうね」と口にしたが、置かれた状況は分かっていない様子だった。忠司さんの葬儀の準備のため夕方、「いったん金沢に戻るね」と病室に寄ると「手の甲が痛い」としっかりした声で言っていたため、少し安心した。

 金沢に帰って数時間後の6日午前0時過ぎに病院から「血圧が下がって危険な状況」と電話があり、再び輪島へ走った。節子さんは息を引き取った後だったが、手を握るとまだ温かかった。武志さんによると、死因はクラッシュシンドローム(挫滅症候群)による多臓器不全だった。

 節子さんは生まれ育った輪島で市職員として働いた。輪島塗の職人だった夫を若くして亡くし、しっかりした人。新聞に載っているクロスワードパズルが解けないと武志さんに電話をかけてきて、一緒に考えさせられた。武志さんの子供が熱を出した時は「大丈夫なの」と一日に何度も電話をくれた。3年前からは、退職して地元に戻った忠司さんと一緒に暮らしていた。

 「正月のお餅を取りにおいで。オードブルでも頼んで忘年会をしよう」。節子さんの誘いで母と2人の息子が最後に集まったのは昨年12月29日。武志さんは、お酒が好きな忠司さんとビールを飲んだ。「母が焼き鳥をよく食べて、まだまだ元気だと思いましたね」

 家族で語らったその居間で、忠司さんは母を守るようにして先に逝った。消防によると、近くにいた忠司さんの体温で節子さんが72時間を生き延びた可能性がある。そして節子さんは亡くなる少し前、病室で「忠司、忠司」と叫んでいたという。

 武志さんは並んだひつぎに、何度も心の中で話しかけた。「2人一緒だから心配ないよ。お父さんにも会って、楽しくやってね」【安西李姫、塚本紘平】

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