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目の前で殺された朝鮮人青年 81年前の体験告白 北海道・強制労働


北海道・朱鞠内の記憶/上

 「目の前で朝鮮人が殺されたんだ」。8月中旬、東アジアの平和構築や交流を目的に、幌加内町朱鞠内で開かれた「東アジア共同ワークショップ」(WS)。参加者約100人の中で最高齢の日本人男性(89)=札幌市=はマイクを手に取り、少年時代の体験を静かに語り始めた。

 1942年4月。幌加内村(現幌加内町)の朱鞠内国民学校2年生だった男性はその日、いつもより早く学校から帰宅した。両親は下宿屋を営んでいたが、父は旧満州(現中国東北部)へ出征し、母は実家に帰っていたため、家には一人だった。

 トイレで用を足そうとした時、窓の外にふと目を向けると、日ごろ仲良く遊んでくれていた朝鮮人労働者の青年2人が後ろで手を縛られて立っていた。向かいには刀を下げた憲兵2人がいる。1人の青年と目が合う。視線に気がついた憲兵がこちらへ振り向いたすきに、青年たちは逃げ出そうとした。その瞬間、憲兵が背後から青年2人の首めがけて刀を振り下ろす。二歩、三歩と進んだ体が、倒れこむのが見えた――。

 「どうしよう」。しゃがみ込んだが、数秒後に憲兵2人が裏口のドアを蹴破って入ってきた。「お前、これ見たか?」。首を縦に振る。「見た以上は生かしておけん」。刀が上がった。「こんな子供を殺してどうするんだ」。もう1人の憲兵が止めに入る。「お前、これを忘れるか?」「はい」

 男性にはその時から記憶がないという。記憶が戻るのは事件から1年8カ月後、東川町からきた祖母に「明日父ちゃんが満州からけがして帰ってくるよ。『お帰りなさい』と言うんだよ」と声をかけられた瞬間からだ。その後、朱鞠内を離れたが、両親はこの地を二度と訪れようとせず、男性が記憶をなくした間のことを何も話してくれなかった。

 「この記憶は死ぬまで隠して生きていこうと決めていた。記憶があることが誰かに知られたら殺されるかもしれないから」

 しかし、両親が他界し、必死に打ち込むことで嫌なことを忘れることができた仕事も辞めると、心境も変化した。地方紙の記者から「話を聞かせてほしい」と取材を依頼されたこともあり、80歳になってようやく周囲に過去の記憶を打ち明けるようになった。

 戦時下に在日朝鮮人を管理統制していた中央協和会の資料などによると、第二次世界大戦中、朱鞠内では雨竜ダムや発電所の建設のため、約3000人の朝鮮人が強制労働をさせられた。朝鮮人労働者らは劣悪な「タコ部屋」に収容され、日々監視下に置かれながら、過酷な労働を強いられた。

 「北海道在日朝鮮人の人権を守る会」が発行した「朝鮮人強制連行ノ記録」で、元タコ部屋労働者のユン・ヨンワンさんはこう証言している。「ダムの高さ三百尺(約90メートル)。そこで組立てする時に上に上るでしよう。そこから落ちたら、死ぬか片輪(注:身体障害者を差別する言葉ですが、当時の時代背景を考慮しそのまま記載しています)、けつして助けに下りない、そのままコンクリート打ち込んで埋めてしまう。わしらの同胞が、本当に何人あすこに埋められたか」。劣悪な環境下で奪われた命は、日本人を含めて少なくとも250人に上るとされている。

 終戦から78年。男性は自身の経験から若者に伝えたいことがある。「日本の植民地支配がなければ、戦争がなければ、罪のない人々が殺されることはなかった。戦争というものは本当に残酷なんだ。私みたいな経験をした人もいるということを知ってほしい」【金将来】

    ◇

 戦時中、朱鞠内の地で多くの犠牲者を出した「強制労働」。その歴史を異なる立場から見つめ、悲惨な記憶を継承し、東アジアの友好と平和につなげていこうとする人々の姿に迫る。

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