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95歳の現役外科医直伝! 「生涯現役」のために毎日続ける健康法


 95歳にして現役の外科医として診療にあたっている医師がいる。北九州市門司区在住の吉村弘さん。昨年末には60年にわたって取得した医学知識と健康法をまとめた「藪(やぶ)医(い)ノート」を自費出版した。自らの経験を基に「規則正しい生活と、脳の神経細胞を活発化させることが大切」と長生きの秘訣(ひけつ)を語る。

 日本植民地支配下の1927(昭和2)年、朝鮮・京城(現ソウル)生まれ。16歳で広島県・江田島の海軍兵学校に入学したが、間もなく終戦を迎えた。戦後は母の郷里の佐賀県有田町に戻り、旧制佐賀高から九州大医学部に進んだ。59年に岳父が経営していた門司区庄司町の外科医院を継ぎ、2003年からは山口県下関市の脳神経筋センターよしみず病院で脳神経外科医として働いている。

 「大病はもちろん、風邪をひいたこともありません」。子どもの頃から毎朝の冷水摩擦を欠かさないお陰だという。30年前からは毎日、約2・5キロの分銅を足の指に挟んでつり上げ、足腰を鍛える。つえや車椅子とは無縁で、月に1度はゴルフにも出掛ける。

 健康法の第一は「生活のリズムを保つこと」。毎朝6時に起き午後8時に就寝。食事は午前7時、正午、午後6時と決めている。「規則正しさを保つことで自律神経がバランスよく働いてくれます」

 脳の神経細胞をより多く使うことも勧める。「140億個の細胞のうち、日ごろ使っているのは3分の1程度。もったいないですね」。身近な方法は利き腕でない腕を使うこと。右利きの吉村さんは、箸とペンを持つ以外は極力、左手を用いる。ひげそりも歯みがきも左手で。ストレス解消や認知症予防にもつながるという。

 吉村さんは地元でも有数の名医として知られ、門司区医師会長を3期6年務めた。開業医時代は多忙を極め、健康への不安から閉院を決意。75歳で勤務医に転身し、以後20年、これらの健康法を毎日続けてきた。「三日坊主はだめ。継続は力なりです」

 かつては軍国少年だったと振り返る。潜水艦乗りにあこがれ海軍兵学校に入学。10カ月後、江田島湾で遊泳訓練中に約15キロ離れた広島市中心部に原爆が投下され、強烈な閃光(せんこう)と爆風を体験した。1週間後に広島市に入り、膨大な数の遺体の搬送にあたった。

 「戦争なんかしても何にもならないなと思った。これからは医者になって人々を助けようと。プーチン大統領はいけませんね。日本も昔、同じ事をしたことを反省しないと。今後一切、戦争はあってはならない」

 今は万一に備えて、回復の見込みのない状態での延命治療を拒否するカードを作り、保険証と共に持ち歩いている。「医師として生涯を全うしたい」と語りながら、座右の銘だという俳人の故・古賀まり子さんの句を口ずさんだ。

 「働きて忽(こつ)と死にたや銭葵(ぜにあおい)」【伊藤和人】

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