starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

磨いたら光った 展示の火縄銃に仙石家の家紋 「ずっと家来のと」


 兵庫県豊岡市出石振興局は、市立出石史料館で展示されてきた火縄銃2丁が、江戸期の出石藩主仙石家の所有と確認されたと発表した。市職員がさびや汚れを取り除いて磨いたところ、2丁の銃身に銀で装飾された仙石家の家紋(替え紋)が見つかった。【浜本年弘】

兵庫・豊岡市立歴史博物館の前館長発見

 前市立歴史博物館長で市出石振興局文化財活用推進員の小寺誠さん(61)が8月28日、発表した。きれいな状態で展示しようと6月から手入れをすると、仙石家の家紋「永楽通宝」とは別の替え紋の仙石家の家紋が、銀象嵌(ぞうがん)で描かれていた。1700年代の火縄銃の特徴という。2丁はこれまで1706~1869年の7代にわたる藩主仙石家伝来の火縄銃とされてきた。銃身の根元には別々の作者名も刻まれていた。

 一つは全長128・4センチ、銃身長99・8センチ。家紋は「九曜桜(くようざくら)」が一つ施され、刻まれた銘文は「但州出石國友善之丞重徳(くにともぜんのじょうしげのり)」。但州出石は呼び寄せられた出石のことで、國友は火縄銃生産地・近江国國友村(現滋賀県長浜市)、善之丞重徳は製作者名とみられる。

 もう一つは全長106・8センチ、銃身長78・6センチ。家紋は「五三の桐」「丸に(くずし字の)無の字」の2種類が九つずつの計18個。銘文は「鍛ノ巻張(きたえのまくはり) 芝辻長左衛門作邦冨(しばつじちょうざえもんさくくにとみ)」。

 鍛ノ巻張は銃身を強くする薄い鉄板を巻いている意味とされ、芝辻長左衛門は火縄銃生産地・摂津国堺(現堺市)に伝わる鉄砲鍛冶の襲名で、邦冨という個人に仙石家が発注したとみられる。

旧福冨家住宅の史料館で77年から展示

 2丁は旧出石町が1968年に登録して保管。77年に旧福冨家住宅の一部が史料館として開館した際、土蔵で展示されていた。史料館を運営する出石皿そば協同組合理事長の武田光弘さん(52)は「小学生のころから見ていたが、ずっと家来の鉄砲と思っていた。(藩主所有の)たいそうなものとは思わなかった。大発見だ」と家紋の発見を喜んだ。

 小寺さんは「磨き始めて替え紋が光って見えた時はとにかく驚いた。使用した痕跡は見られず、藩主の貴重な調度品として来客に見せたのだろう。三の丸の対面所に置いていた可能性があり、仙石家の日常の様子が見えてくる」と話す。

 2丁は現在、史料館で常設展示されている。

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.