starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

「原爆の子の像」貞子さん 亡くなる直前、お茶漬け「ありがとう」


 広島・長崎に投下された原爆で被爆した人たちの体験を聞き書きしたエフコープ生活協同組合(福岡県篠栗町)発行の証言集「つたえてください あしたへ……」の最新刊が完成した。今回の第28集は、広島市の平和記念公園に立つ「原爆の子の像」のモデル・佐々木禎子さんの兄雅弘さん(81)=同那珂川市=ら3人の証言を収録した。【本多由梨枝】

「平和を築く歩みを止めてはいけない」

 1945年8月6日の朝、広島市の晴れ渡る空に見えた二つの光を雅弘さんは覚えている。初めて見る飛行機に心が弾んだという。

 爆心地から1・6キロで光を見た後、4歳の雅弘さんと2歳の禎子さんは、朝食を支度した祖母に呼ばれて家の中へ。食卓についた瞬間、爆発音と共に辺りは真っ暗に。2人に大きなけがはなかったが自宅は全壊。一緒に逃げた祖母は位牌(いはい)などを取りに自宅に戻り、帰らぬ人になった。

 10年後の55年2月、小学6年生だった禎子さんは白血病を発症。8カ月の入院・闘病の末、12歳で亡くなった。雅弘さんは「できる限り見舞いに行ったが、亡くなる日まで病状の悪化に気付けなかった」と振り返る。

 雅弘さんの証言のテーマは「被爆して禎子から教わった思いやりの心」。禎子さんが亡くなる直前の家族の会話も盛り込まれた。2003年に亡くなった父繁夫さん(享年87)が食べたいものを尋ねると、禎子さんは「お茶漬けが食べたい」と答えた。雅弘さんは病院の食堂でご飯を買おうとしたが、禎子さんが「(他だと高価になるので)日赤のご飯じゃないといらん」と言ったので、日赤から借りた茶わんに食堂で買ったご飯を移して食べさせると、「おいしい」「みんな、ありがとう」と言い残し、禎子さんは亡くなったという。

 亡くなった後、禎子さんのベッド下からは「白血球・赤血球・血色素」の数値が書かれたメモが見つかり、禎子さんは以前から自らが白血病であると知っていたと雅弘さんは気づく。雅弘さんは「大病をしながら、すべてのことを我慢し、親に心配をさせたくないと逆に親を思いやった。だから禎子が残したのは、思いやりという究極の心」(一部省略)と証言した。

 雅弘さんの証言はエフコープが打診した。聞き書きしたエフコープ組合員の木村桂子さん(66)=福岡市早良区=は「戦争や原爆は12歳の女の子の普通の生活と命を奪い、家族も心の痛みや健康不安を抱えて生きねばならなかった。犠牲者が願った平和を築く歩みを、私たちは止めてはいけない」と話した。

 証言集はほぼ毎年製作し、最新刊は4000部。64ページ。無料(送料負担)。ホームページで見ることもできる。組合員サービスセンター(0120・41・0120、日曜は除く)。

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.