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専門家「核のタブー視弱まっている」 長崎平和宣言起草へ初会合


 長崎原爆の日(8月9日)に長崎市長が読み上げる平和宣言の起草委員会初会合が27日あった。4月に就任し、両親が被爆者である鈴木史朗市長(55)が初めて出席。世界で核兵器の脅威が高まる中、委員からは、被爆後の惨状や被爆者の苦しみなど被爆の実相を改めて伝えることや、核問題を自らに引き寄せて考えてもらうためのメッセージを発信すべきだとの意見が相次いだ。

 核軍縮などが専門で長崎大核兵器廃絶研究センター長などを務めた梅林宏道さん(85)は「核兵器を使うことや核兵器に頼ることをタブー視する風潮が弱まっている。被爆の実相が十分伝わっていないことが背景にある」と指摘。「人々のむごい生き死にの姿、原子野の光景、生涯続く放射能の恐怖。そういうことに、例年よりも行数を割く必要がある」と述べた。

 長崎平和推進協会の調漸(しらべすすむ)理事長(67)も「78年がたち、被爆の実相が忘れ去られているのではないか」と指摘。鈴木市長は「核兵器が使われたらどういう悲惨なことが起こるのか。世界に十分伝わっていない」と語った。

 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(82)は、原爆で重傷を負った足を6回手術した女性の苦しみを紹介し、「被爆国・日本は核兵器禁止条約に参加するべきだ」と文書で訴えた。【高橋広之、樋口岳大】

鈴木市長、両親の被爆体験明かす

 「(米軍が投下目標地点としていた)常盤橋に原爆が落とされていたら、私は生まれていなかった」。起草委員会で鈴木史朗市長は、被爆者である両親が原爆投下時に長崎市の常盤橋近くにいたと明かし、核問題を「自分ごと」として考える重要性を訴えた。

 米軍は、同市松山町の爆心地から約3キロ南東の常盤橋付近を投下目標地点にしていたとされる。鈴木市長は起草委で「常盤橋に落とされていたら両親はこの世にいなかった。我々の命と引き換えに命を失った7万人以上の方がいらっしゃる。被爆された方々のことは決して人ごとではないという意識を持たなくてはならない」と語った。

 1945年8月9日は母親の12歳の誕生日だった。戦時下でもできる範囲でお祝いをしようと準備をしていた時に原爆に遭ったという。鈴木市長は「我が家で迎える8月9日は母親の誕生日でありながら祝うことができない。そういう8月9日をずっと過ごしてきた」と語った。

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