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本震13分後に生まれた子、小学生に 熊本地震7年 育つ希望の芽


 激しい揺れに襲われ、医療器具が散乱した分娩(ぶんべん)室で小さな命が産声を上げた。熊本地震で2度目の最大震度7を観測した「本震」から僅か13分後の2016年4月16日午前1時38分。災禍の中で生を受けた女の子は今春、小学校に入学した。あの日を家族で乗り越えた希望の芽は、着実に育っている。

 入学式当日の12日午前9時すぎ。三つ上の兄に手を引かれ、真新しい水色のランドセルを背負った宮村芽衣さん(6)が校門をくぐった。朝から降っていた雨はすっかりやんでいた。「芽衣は晴れ女。あんな大変な状況で生まれただけあって、運の強い子なんです」。母知恵子さん(41)がほほえんだ。

 芽衣さんが生まれる前々日の16年4月14日午後9時26分。当時2歳の長男理玖(りく)さん(9)と熊本市内の自宅にいた知恵子さんは「ドーンと突き上げるような」揺れに襲われた。かき集めた毛布を理玖さんの頭にかぶせ、屋外に避難した。福岡に出張していた夫智和さん(44)と会えたのは、日付が変わった頃だった。

 芽衣さんを妊娠していた知恵子さんの出産予定日は4日後の18日。「この子はどうなるんだろう」。自宅も出産予定の病院も大きな被害はなかったが、翌日、陣痛が始まって入院した。

 16日未明、知恵子さんが分娩台の上にいた時に本震が来た。パタパタと大きく開閉する棚の戸が見えた。「やばい、落ちる」。その瞬間、助産師が知恵子さんの体に覆いかぶさった。「大丈夫だからね」。助産師の励ましが心に染みた。

 本震の13分後、3030グラムの女の子が生まれた。名前は「春の新芽のように、強く健やかに」との願いを込めて知恵子さんが決めた。一瞬だけ抱っこさせてもらった後、知恵子さんは病院入り口付近に止めた救急車内で産後処置を受けた。智和さんは院内で朝まで芽衣さんを抱いて温めた。

 知恵子さんには真っ先に娘を会わせたい人がいた。誕生を心待ちにしていた智和さんの祖母トキエさんだ。退院したその日に初対面を果たした。「かわいかね」「抱っこしとくよ。ゆっくりしなっせ」。トキエさんはずっと、芽衣さんを抱っこしていたという。

 1回目の最大震度7を観測した「前震」の後、車中泊などを続けていたトキエさん。知恵子さんは一晩だけ、テントを張った庭先で一夜を共にした。「またね」。そう言って別れた翌日の4月23日、智和さんの実家から「ばあちゃんが亡くなった」と電話があった。94歳。死因は大動脈解離で、後に災害関連死に認定された。知恵子さんは「持病もなく元気だった。ばあちゃんと芽衣が一緒に写った写真すら撮れなかった」と、突然の別れを悔やむ。

 あれから7年。芽衣さんは自分から知らない子に「遊ぼう」と声をかける、活発で世話好きな女の子に成長した。小学校での楽しみは「友達をいっぱいつくること」だ。

 12日、通学路を力強く進む芽衣さんの姿に、知恵子さんは「成長するにつれていろいろ欲目は出てしまうけど、みんなと仲良く元気に過ごしてくれたら」と、この日を迎えられた喜びをかみしめた。「入学式」と書かれた校門の看板前で家族写真も撮った。「きっとトキエおばあちゃんも見守ってくれている」。知恵子さんは雨上がりの空を見上げた。【中村園子】

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