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「証言続ける姿に刺激」=広島で遺構紹介11年―被爆2世の多賀俊介さん


 「高齢でも証言しようと頑張る被爆者に刺激をもらってきた」。広島市の多賀俊介さん(72)は「ヒロシマピースボランティア」の一員として、これまで約11年にわたり被爆遺構などの紹介をしてきた。個人的に依頼されたものを含めると、これまで話してきた相手は約750人。自身も被爆2世で、親の世代に当たる被爆者の姿を見習いながら、今後もガイドを続ける考えだ。  多賀さんは広島県呉市に生まれ、父親は原爆投下後、親族を捜しに広島市を訪れて被爆した。広島市の中学と高校で社会科教員として働き、人権や平和の大切さを生徒に教えてきた。  「退職したから関係ないなんてあり得ない」と、定年後はガイドを始めた。普通の人々の暮らしが一瞬で壊滅したことを想像してもらうため「今歩いているところは昔どんな場所だったのか。その上を歩くとはどういうことか一緒に考えよう」と話し掛けてきた。  ガイドの際、必ず訪れる場所の一つが平和記念公園内にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」だ。広島市は当時「軍都」として陸軍の重要施設や部隊が置かれ、朝鮮半島から来た人々も軍の施設や地下壕の建設に加わったが、原爆投下で多くが命を落とした。  多賀さんは碑の前で「なぜ朝鮮半島の人々がここで亡くならざるを得なかったか考えてほしい」と呼び掛けている。背景にあるのは戦前、コークス製造会社を経営していた父が朝鮮人を雇っていたことや、幼い頃に朝鮮人を冷やかす歌を口ずさんでいた自身の記憶だ。「自分は差別してきた立場にある。亡くなった一人ひとりに思いを巡らせたい」と話した。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕ヒロシマピースボランティアでガイドをする多賀俊介さん=2日、広島市中区
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