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「賛成・反対で語れない」=辺野古20年調査、熊本教授―沖縄復帰50年


 復帰から50年となる今も、在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄。基地を抱えて暮らす住民は何を考えてきたのか。普天間飛行場(宜野湾市)の移設予定地、名護市辺野古で聞き取り調査を約20年続ける明星大(東京都)の熊本博之教授(地域社会学)は「基地賛成か反対かでは単純に語れない」として、住民らの複雑な思いに耳を傾けるよう訴える。  辺野古は沖縄本島北部に位置する人口約1700人の集落だ。復帰前の1950年代、米軍による土地の強制接収を回避するため、インフラ整備などを条件に、隣接する米軍キャンプシュワブの建設を受け入れた経緯がある。普天間飛行場移設についても条件付きで容認する姿勢を示している。  熊本教授は辺野古の立場を「結局基地が造られるのなら、安心して辺野古で暮らせるよう受け入れて交渉するしかなかった」と指摘。「住民らも来ないに越したことはないと思っている。苦渋の決断だ」と強調する。  聞き取り調査を続ける中で、ある住民男性が「辺野古はエビみたいに後ずさりしながら背を向けないでいる」と語った言葉が印象に残っているという。住民たちは反対の意思を前面に押し出さず、少しずつ譲歩する姿勢を示していた。熊本教授は「もろ手を挙げて基地を受け入れているわけではなく、地域の利益のためにうまく交渉してきたという強い自負を感じた」と話す。  90年代に持ち上がった普天間飛行場の移設問題の是非は、名護市長選などで選挙の争点となり続けた。熊本教授は「住民らは、基地建設は止められないのに常に賛成か反対かを問われ続け、現状を受け入れる選択をした時しかその決定を認めてもらえない」と指摘。この状態を「決定権があるように見えて何も権限はない。『決定権なき決定者』と言える」と述べた。  復帰後の辺野古を「米軍と共に在り続けさせられた50年だった」と振り返る一方、「米軍基地など課題が置き去りにされた状況を、本土の人は理解していない」と苦言を呈した。「沖縄の問題と切り分けて考えず、同じ立場だったらと想像して沖縄のことを考えてほしい」と訴えた。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答える明星大の熊本博之教授=4月26日、東京都日野市 〔写真説明〕インタビューに答える明星大の熊本博之教授=4月26日、東京都日野市
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