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忘れられぬ屋良主席の沈黙=通貨交換、「無情」の政府通告―初代日銀那覇支店次長の堀内氏に聞く・沖縄復帰50年


 初代の日銀那覇支店次長を務め、ドルから円への通貨交換実施に奔走した堀内好訓さん(93)には忘れられない光景がある。沖縄復帰の約1カ月前、通貨交換をめぐる日本政府の厳しい最終通告に「ひと言も発せず、じっと耳を傾けていた」琉球政府(当時)の屋良朝苗主席の姿だ。50年前の記憶の糸をたぐりながら取材に応じてくれた。  堀内さんは、日銀が1971年4月に設置した那覇支店開設準備室に配属された6人の日銀マンの一人。米国統治下で沖縄の人々が給料として受け取り、日々の買い物で使っていたドルを、復帰に伴って円に交換するという極めて困難な任務を実動部隊のナンバー2として担った。  「世界的にも歴史上ないことを日銀はやる。世界が見ているから頑張ってください」。開設準備室長の新木文雄氏らと沖縄を訪れた堀内さんを待っていたのは、日本政府代表の高瀬侍郎大使の激励。「失敗は許されない」。新木氏と気持ちを奮い立たせたという。  540億円もの現金を離島を含め各地に輸送し、沖縄の人々のドルと無事に交換する。ただでさえ困難な任務をさらに複雑にしたのが、米国時間71年8月15日に起きた「ニクソン・ショック」だ。ドルの価値は対円で2割近くも下がり、沖縄の人々が苦労してためたドルの価値は目減りした。堀内さんは「『終戦の日』に米国はなんと憎らしいことをするのか」と今も憤る。  沖縄復帰の約1カ月前の72年4月上旬。日本政府は、沖縄の人にとっては資産の目減りを意味する時価での通貨交換、旧日本軍を想起させ忌避感の強い自衛隊による現金輸送、復帰前の通貨交換断念という三つの最終決定を屋良主席に伝えた。いずれも沖縄が反対しており、容易には受け入れがたい内容。「屋良主席は下を向き、にこりともしなかった」。知事公舎で立ち会った堀内さんは振り返る。  無言の屋良主席を前に、政府側は三つの決定について順番に「趣旨は説明した通り。やらざるを得ないのでご了解ください。ご了解いただけたものとして次に移る」と話を進め、「これをもって本日の面談を終える」と淡々と締めくくったという。  1カ月後に迫った本土復帰と米軍統治からの脱却は沖縄の人にとって悲願だ。復帰のために通貨交換を避けて通れない以上、最後は通告を受け入れざるを得ない。「復帰を控えた沖縄の最高責任者の心中は察するに余りある」。堀内さんの記憶に深く刻まれている。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに答える初代日銀那覇支店次長の堀内好訓さん=2月22日、東京都中央区 〔写真説明〕日銀本店の前に立つ初代日銀那覇支店次長の堀内好訓さん=2月22日、東京都中央区
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