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【ヘンなアニメ会社・タツノコプロの秘密】「これぞタツノコ!」と思わせるスタイリッシュな無国籍アニメ


タツノコプロの草創期のお話を、スタジオ誕生の頃から知る笹川ひろし氏が、ささやきレポーターとなって語る本連載。第7回に登場するのは、1969年にテレビ放送された『紅三四郎』だ。





主人公・紅三四郎(くれないさんしろう)は、父の命を奪った男を探して世界中を渡り歩く青年格闘家である。三四郎が着る真っ赤な胴着を、カラーテレビの映像で表現していたのも見どころだった。しかしその当時、カラーテレビは導入が始まったばかり。それだけに苦労も多かった。ささやきレポーターが、そんな現場の四苦八苦を報告する。



 





~第七回:無国籍ヒーローが異種格闘技で戦う!『紅三四郎』(1969年)~



 



 




 



赤い柔道着に身を包み、行く手を阻む悪漢に,必殺「紅流(くれないりゅう)」が炸裂する、という常識を飛び越えたアクションアニメがついに登場した。これこそ、前作「マッハGoGoGo」で自信を付けた吉田竜夫のキャラクターによる、リアルアニメ路線の第2作目だ。





この頃になると、吉田竜夫のキャラクターはアニメにはなり得ないという意見は消えて、アニメでも大人にも観て貰える、実写にも劣らぬ作品が出来るということが証明されたようなムードがスタッフに浸透された。だが、アニメーター達には更なる難しい問題が課せられた。マッハは車と車の戦い(競争)だが、「紅三四郎」は、肉体技の戦いで、その動きはかなりの難しさが求められた。





実写映画なら、殺陣師という専門の人がついて、アクションを指導してくれるのだが、そんな贅沢はこの作品にはない。



 





絵コンテを描く演出家が自分でアクションを考えなければならなかった。柔道や空手の参考写真を観たり、動作を仲間に真似て貰ったりして「紅流」の動きを考えるしか無い。しかも流儀なんていうものは到底作れず、とにかく体と体をぶつけて戦うというだけのアクションでカッコ良さを表現するしかなかったのだ。更に、カラー放送の初期時代だったため、カラー調整が難しく、モノクロ映像で観ても、カラー映像で観ても綺麗に見えることがテレビ局から要求されていた。しかしスタッフ達は大きなまさかの失敗を犯してしまったのだ。





赤い夕陽をバックに、赤い柔道着の主人公が、赤いバイクで走るシーンに、「紅三四郎」という赤いタイトル文字が重なって……。



 



カッコイイ度100パーセントの筈が、なんと、モニター画面では、夕陽も柔道着もバイクも紅三四郎のタイトル文字も、なんと灰色に映っていたのだ。画面全面グレー一色に。まさかー。





まさかはまだあった。放送間近、ある団地で上映会が行われた。





スタッフが映写機とプリントを会場に持ち込んでの上映だ。鶏のトサカみたいな髪の毛のアンちゃんが、だじゃれで見物客を笑わせた。





「売れない三四郎だってさー」。すると隣のぼうずが「なにも、くれない三四郎か、ガハハハ」と調子こく。





(おのれー、苦労して完成したアニメに、なんてこと言うんだー)



 



映写機を回していたスタッフは怒りで爆発しそうになるが、心の中でこう叫んでいたとか。「人気がでるまでブレないぞー」と。でも、この作品で得た作画や技術は、さらにタツノコ・アクションアニメに自信と実績を重ね、代表作のガッチャマンへの制作へと繋がったのだ。



 



ささやきレポート、スタッフ嘆きの日々でした。




 



■スポーツアニメ時代に異彩を放った「異種格闘技」





1963年に虫プロの『鉄腕アトム』がテレビ放送をスタート。タツノコプロも『宇宙エース』、『マッハGoGoGo』といった作品を世に放ち、ヒットを飛ばす。1960年代後半は、テレビアニメ (当時はテレビ漫画と呼ばれることのほうが多かった) は、大ブームを巻き起こしていた。





なかでも人気のジャンルのひとつが、スポーツアニメだ。1964年に「東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)」が開催された影響も大きかった。日本の戦後復興と、高度成長期を象徴する一大イベントでスポーツ界は大きな盛り上がりをみせる。





さらに厳しい勝負を戦い抜くヒーロー・ヒロインたちが登場するスポーツは、アニメの格好の題材となった。野球がテーマの『巨人の星』、バレーボールの『アタックNO.1』、レスリングの『タイガーマスク』、キックボクシングの『キックの鬼』などが次々に登場した。

 





タツノコプロもテレビアニメ第4作に、スポーツに乗り出した。1969年4月から1969年9月まで、全26話で放送した『紅三四郎』である。





しかし『紅三四郎』でも、タツノコプロならではのオリジナリティが存分に発揮される。原作は吉田竜夫自身、コミック連載もテレビ企画とほぼ同時進行だ。





紅三四郎が繰り出すのは架空の柔術として創作された“紅流”と、オリジナリティたっぷり。格闘シーンの表現に苦労したのは、ささやきレポーターの報告どおりだ。

 







 



■カラーでアニメを作る!に苦心した「紅三四郎」





赤い胴着は、一見は奇抜、しかしこれほど記憶に残るものはない。そしてカラーテレビ時代の始まりに、あえて「紅」と強烈な色を演出し、意識したタイトルは、タツノコプロのチャンレンジ精神だ。



 



しかし当時はカラーテレビの導入期、実際に『紅三四郎』の放送のあった1969年のカラーテレビの普及率は13.9%(内閣府「消費動向調査」より)に過ぎない。本作の本領は、その後繰り返される再放送で発揮することになる。



 











 


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