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なぜ、おじさんとおばさんは「ジュリアナ」を忘れられないのか?


写真:Fujifotos/アフロ


朝日新聞DIGITALによると、1990年代前半に一世を風靡した大型ディスコ『ジュリアナ東京』を、大阪市に出店させる計画が進んでいるのだという。かつて女性たちが踊った「お立ち台」も“再現”し、その全盛期を知る40〜60代の男女が安心して楽しめるハコを目指している……のだそう。ちなみに、音楽会社が2008年に一夜限りのイベントで復活させたことはあるが、常設の店舗はこの大阪店が第一号である……らしい。



 



「ジュリアナ=バブルの象徴」と捉えられがちではあるけれど、正確には総合商社の日商岩井(現・双日)が中心となって手掛け、1991年5月に東京・芝浦で誕生した(※閉店は1994年8月)。つまり経済的な見地からの「バブル景気」とされている「1986年12月〜1991年2月」とは微妙に後へとズレているわけで、まだ残っていた余熱的なバブリー感をふんだんと発散しつつ、まるで「なにかの収容所で処刑を待つ人たちによる最後の乱痴気騒ぎ」のごとく、どこか刹那なモラトリアムの匂いをもただよわせていた……と、私は当時の空気を薄々と記憶する。



 



なぜ、おじさん&おばさんはジュリアナを忘れられないのか──そんなことを、とある40代の男性から問われた。



 



おじさんの一人である私個人の話をすれば、ジュリアナでキラキラしたネーチャン&アンチャンがブイブイいわせてたころ、20代後半だった私は安月給の画材屋でレジを打ち、テレビもない会社の寮でしこしことオナニーしながらイラストを描いていた、ゴメスの半生で一番の“暗黒時代”であり、一方の“浮ついた若者たち”の代名詞的存在としてウォーターフロントに君臨するジュリアナは、「爆破テロでも起きたらいいのにな…」と秘かに願うほどの“憎悪の対象”であった。



 



マルイの12回ローンで買った一張羅のスーツで武装して一度か二度は行ってみたこともある。もちろん、そこでダンスに興じるボディコンネーチャンは一人たりとも相手にしてくれなかった。ジュリアナで青春を堪能し尽くしたヒトたちとは正反対のベクトル、すなわちトラウマとして「ジュリアナが忘れられない」のがこの私であり、そういう“同類”は案外多かったりするのではないか? 



 



だが、逆に言えば「半生で一番の暗黒時代だった」私でさえ、思い切って一度か二度はジュリアナに行った経験がある……という考え方もできる。それこそバブル真っ最中に流行っていた麻布十番の『マハラジャ』や青山の『キンクイ(キング&クイーン)』なんかは、その選民性のあまりの露骨さに「思い切って〜」といった発想にすら到らなかった。



 



そういう意味では、「バブルがはじけた」という経営側が抱く潜在的な危機意識のせいか、ジュリアナは窓口を広めに設定していた、そこそこにアーバンを装っていたら比較的「誰でもウェルカム」の姿勢を示していた……ような気もする。実際、ジュリアナを“観光スポットに立ち寄ってみたおのぼりさん”としてではなく、心底からその居心地を楽しんでいた“お馴染みさん”は、今で例えると「クラブを常連とする若者」よりはやや多めだが、「ハロウィンにスクランブル交差点で騒ぐ若者」よりはあきらかに少ない……みたいなところだろうか。そして、このポピュラー性が結果として促したファッションの過激化、露出度のエスカレート化こそが、特定の世代のノスタルジーをもジェラシーをも一気にまとめて受け止める、最大の理由なのかもしれない。


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