「おしゃれは引き算」「足し算のおしゃれも楽しんで」とか言いながら、ほとんどのファッション業界人は文系人種のはずだ、僕も含め。一部の経営陣をのぞいてビジネス用語にも疎く、「イノベーション」とか「B to C」とか「?」というひとも少なくない。販売の現場スタッフや、クリエイティビティを大切にしている専門職ほど、感覚と感性で渡っていけるのがファッション業界。学歴や偏差値に左右されず、おしゃれであれば上に行ける。そう教え込まれてきたし、信じてきた。

 

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上掲記事を呼んで「?」となっている業界人は少なくない。春夏と秋冬、年に2回コレクションを制作し、受注をとり、生産して、販売する。余った在庫を処分して少しでも現金化する頃、次のシーズンは始まっている。これを繰り返すことで成立してきたビジネスモデルなのだから。IoTとかAIとか、どこかのアーチストかロックバンドのグループ名だと思っている。

 

 

■ファッション業界に革命を起こしたユニクロの「ライフウェア」

 

90年代、革命的な企業が誕生した。山口県の小さな洋品店が二代目社長の代になり、急速に全国展開を開始する。この企業の名を知らしめたのは、あのフリースジャケットだ。SPA型企業の特性を活かし、じつによく研究されたモノ作りととともに、POSデータによる管理体制を活用したクイックレスポンスと資源の集約でコストリーダーシップをとりながら、販売機会を逸しない徹底的な商品供給と在庫管理によって莫大な利益を生み出してゆく。

 

当時を知る世代なら「裏原」という言葉を思い出すはずだ。広告戦線は一部の雑誌メディアと供託した告知のみ。店舗は原宿の裏通りの一軒だけで、コレクションはごく少数の数量限定。地方への卸しも地域1店舗に限られ、モノが無くなればハイおしまい。追加生産は一切ないため、プレミアムがつくという付加価値を生み出した。店前は連日オープン前から行列ができ、卸売りを拒否された地方のショップがひとを雇って行列に並ばせ商品を“仕入れ”たり、「転売ヤー」新しいマーケットをも創出した。当然ながらいつ行っても店に商品はなく、スタッフは接客もしてくれない。それでもおしゃれに敏感な若いひとにとって、刺激的なファッションムーブメントだった。

 

そんな時代にユニクロは、いつ行っても必ず欲しいフリースの色とサイズが揃っていた。デザインはあえて削ぎ落とし無地を中心にカラーバリエーションのみを取り揃え、しかも白、黒、グレーといったベーシックカラーは在庫量も豊富だった。シルエットはよく研究されていて、海外の人気ブランドのベストセラーを解体して型紙を作成しているという噂もあった。膨大な店舗数にあわせた大量生産によるスケールメリットを活かした価格も魅力的だ。メディア戦略も裏腹の対局にあって、TVCMを使いアート作品のようなイメージ映像を流すことでファッション誌を買わないひとたちにも浸透していく。

 

「ファッション」ではなく「ライフウェア」というキーワードも新しかった。それまでの服は「おしゃれ」か「おしゃれじゃない」かの2種類しかなくて、スーパーの洋品売場や商店街の服屋とて、「おしゃれではない」と言われながらも、作り手は少なからず「おしゃれ」と信じていたので、すべての服は「おしゃれ」であるはずだった。にもかかわらず「おしゃれに着こなせない」もしくは「おしゃれに着こなすことを目的としない」たくさんのひとたちが「おしゃれなんてキライ」とアンチ層を作り上げていたのである。

 

そこへ「ファッションじゃないから、おしゃれじゃないですよ」という服の登場は、アンチおしゃれ層へのセーフティネットになった。「おしゃれ」目的ではないから安価だし、にもかかわらず、そこそこおしゃれに見える。先日引退した「アムラー」とほぼ同世代の「ユニラー」が誕生してから、アパレル業界は怒涛の30年史を刻んできた。


 

 

■不確実性を許せない時代、ファッションも数値化する!?

 

いままた、あらたな企業が成長中だ。

 

その服が「似合う」と「似合わない」を決定付ける要因はなにか? 「似合う」と「似合わない」を数値化して解明すべく、スタートトゥデイ研究所は九州工業大学と共同で研究を進めている。アートシンキングのできるいま話題の経営者ならではの発想だ。

 

たしかに年齢によってはもちろん、職業や社会的地位によっても、似合う服のデザインや色柄は異なるし、同じようなライフスタイルであっても、アイツとオレとは似合う服が違うのはなぜなのか。身長・体重、体型や髪型、肌の色や髪の色、瞳の色によって「なんかいい感じ」だったり、「なんかヘン」だったりするのだが、それの背景にあるものをすべて解き明かしてくれるのなら、ノーベル何賞にあたるのかわからないけど評価されるべきだ。

 

細身のスマートな若者に似合うストリート服がオジサンに似合わない理由はなぜか? フルビスポークのスーツが新入社員に場違いなのはどうしてなのか。日焼けした肌には原色の暖色が似合うが、色白なうらなりには青が似合う理由はどこにあるのだろう。

 

何故かはわからなくても、体感で知っているのがファッション業界だったはずだ。誰も一連の作業を数値化しないし、誰も数式化していない。「なんとなく」こうするとおしゃれに見える、として納得してきたのだ。いや、もしかすると「納得しているふり」だったのかもしれない。

 

不確実性を許せない時代だ。総理大臣に面会した話が作り話なのか、タックルしろって言ったのか。SNSは炎上するし、文春砲はつねに発射準備完了している。なぜ「おしゃれ」なのか、根拠がなければ認定できないし、へたすりゃ叩かれるので、「おしゃれ」と「ダサい」の線引をきっちりひいて、ここから1ミリでもはみ出したら「ダサい」のレッテルを貼ってやろうとしている。

 

白か黒かはっきりさせるのが理数系なら、グレーを許せるのが文化系だ。ぼくはグレーを着る。そしてぼくは公言しているので大きな声で言うのだが、ユニクロは着ないしZOZOでも買わない。なぜなら、どちらも僕が知ってる「ファッション」じゃないからだ。僕が知ってるファッションは、無駄が多かったり、非効率的だったりするし、「なんとなく」のファンタジーな世界だけれど、そこはとても魅力的で暖かい。ネットで見て試着もせずに買うよりも、足を運んで必ず袖を通して、肩幅が1cm大きいからとお直しを依頼する。裾幅はミリ単位でこだわるし、色のトーンの単位をなんというのかわからないけど、もうちょっとだけ濃いものが欲しいから目の前のグレーのパンツは買わない。朝、クロゼットの前で今日なにを着るか悩んで打ち合わせに遅刻したり、ネクタイの結び方が気に入らないから、鏡の前でかれこれ30分も結んでは解きを繰り返している。こだわる愉しさと歓びと、服を買うことの高揚感も知っている。それは理像の異性とめぐり逢えたぐらい天文学的な確率だ。おしゃれなひとは文化系でも、たぶん理数系に強いと思う。

 

いつかこの仕事を辞めたら、大手を振ってユニクロ、ZOZOで大人買いするつもりだ。

情報提供元:citrus
記事名:「ユニクロは着ないしZOZOでも買わない…なぜなら“ファッション”じゃないからだ