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アルマーニ、泰明小学校長の保護者向け文書に違和感!標準服を変えたら生徒も変わる?


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東京・銀座にある泰明小学校が新標準服を導入するということが明らかになり、ネット上はもちろんのこと新聞やテレビ番組などでも大きく取り上げられた。標準服決定に至るまでに校内で委員会を組織して話し合いを進めたということもなく、校長の一存による決定だったことも報道された。標準服はアルマーニ監修によるもので一式8万円ということである。
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ネット上での多くの意見は、8万円という価格のアルマーニ監修の標準服を導入することに対してのものである。2月14日には菅官房長官までが公式の場において考えを述べている。筆者は、なぜ標準服をアルマーニ監修のものにしたのか、その経緯を知りたいと考え、校長が昨年11月に公表したという保護者向けの説明文書を読んでみた。

なんとも納得できかねる意味不明の文書であると感じた。

泰明小学校が特認校制度の対象校となり、9年目を迎えています。中央区の教育施策として定着をした制度でございますので、それはそれで好ましい方向に進んでいるものと認識いたしております。

先ず、校長は特認校である泰明小学校の校長としての自分を受け入れているのであろうかという疑問が沸きあがってきた。「それはそれで好ましい方向に進んでいるものと認識いたしております。」という表現からそのことが伝わってくるような気がする。

特認校としての泰明小学校ではなく、特認校となる以前の泰明小学校の方が良かったということを暗に述べているような文章ではないだろうか。文書全体を読んで納得できないのは、生徒や保護者に対する校長の考え方である。教職経験者としての筆者は、校長の考えに違和感を覚えずにはいられない。

本校でお子様が自負をもって学んでくれたらと、期待なさって本校を選択されたのだと思うのですが、どうも、その意識と学校側の思いのすれ違いを感じるのです。

学校側の思いと保護者の意識とのすれ違いを、まるで保護者がダメなのだと言わんばかりに公の場で発言してしまってどうするのか。どのような学校であれ、経営者と保護者の間には多少の意識の違いはあるだろう。その意識の違いをいかにして近づけていくかということが経営者の力量の出しどころではないだろうか。

校長自身が保護者と協力し合うということができないまま、埋めることのできない溝を作ってしまうような発言である。このような言葉を公の場で突きつけられた保護者はどのように思うだろうか。経営者に協力したいという考えなどなくしてしまうのではないだろうか。


校長の発言は続く。
子どもたちの様子から申し上げれば、日常の振る舞い、言葉遣い、学校社会という集団の中での生活の仕方などを見ていますと、どのような思いや願いがあって本校を選択されたのかが分からなくて、思案に暮れることがあります。

しかし、私が泰明小学校の在るべき姿として思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです。

言動、もちろん、公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられないと思うことも度々です。もちろん、全員がそうだとは言いません。みそらの星賞などを設定し、この子ならばと推薦された児童が褒賞を受けることもあって、ほっとする面もあるのですが、それに反して、がくっと心折れる場面の多いことも事実です。

これらの校長の言い分を読んで、保護者の方々を気の毒に思った。生徒に対してはなおさらである。生徒の言動を批判しているが、そのような生徒にしているのは校長はじめ教職員自身であるということに気付かないのであろうか。生徒の言動は、自分たちの指導の結果である。

だからこそ、学校は校長をはじめとして全教職員で生徒の指導に当たらなければならないし、指導の結果に責任を持たなければならない。そんな初歩的なこともわからずに、「ダメな保護者です。」「困った生徒たちです。」と不満を言っているだけにしか見えない。

標準服を変えることにより、校長の思いは達成されるのであろうか。保護者は学校の願いを理解するのだろうか。生徒は泰明小学校の一員であることを自覚するようになるのだろうか。標準服を変える以前にできることがあるのではないだろうか。

学生時代に、「23分間の奇跡」(ジェームズクラベル著 青島幸男訳)という本を読んだ。1つの国が戦争に敗れ、占領され、教室に新しい先生がやって来る。その教室での23分間の授業での出来事が描かれている本である。簡単に読み進めることのできる内容であるが、読み終えると教育に携わるということの責任の重さを考えずにはいられなかった。

教師の指導の仕方で、生徒はどのようにでも変えられるということを示す内容だった。教師は自分だけが思い描く勝手な理想像を生徒に求めてはいけない。自分の持っている理想や目標は、生徒の将来のためになるのかということを常に意識していなければならない。そういうことを教えてくれた1冊であった。

いつの時代でも、教師は自分の指導が生徒の将来と深く関わっているのだということを忘れてはならない。校長の文書を読んだときに、すぐにこの本のことを思い出した。泰明小学校は、古くから銀座にあるというブランド校かもしれないが、特認校という新しいスタイルを与えられた以上、特認校泰明小学校としての新しい歴史を作っていかなければならないことも事実である。

校長が理想とする生徒像は、特認校である泰明小学校に在籍する生徒の理想像として適当なのかどうかを考えなければならない。正しい理想像なのであれば、そのような生徒に育て上げるために教職員・保護者が協力しあって生徒を育てていけばよい。生徒は校長や教職員・保護者の関係を見抜いている。

協力し合う大人の姿勢が生徒に伝わると、生徒も自覚を持つようになり、自然と泰明小学校の一員としての言動ができるようになるのではないだろうか。標準服を変えるのはそういう時期でもいいのではないだろうか。

画像掲載元:イラストポップ  Frameillust
記事掲載元:http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/

(秒刊サンデー:わらびもち
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