はじめに


高知県出身の歴史の偉人といえば、坂本龍馬ですよね。
しかし、今日の日本にとって、大きな影響を与えた人物がもう一人います。
今回は、三菱財閥の創業者である、岩崎弥太郎(いわさきやたろう)のゆかりの地をご紹介いたします。

岩崎弥太郎ってどんな人?


大河ドラマ『龍馬伝』で有名となった、岩崎弥太郎。香川照之(かがわてるゆき)さんが熱演されたことで話題になりましたよね。

坂本龍馬が代表となった土佐商会や海援隊で、今でいう経理面を担当していたイメージがある岩崎弥太郎。
坂本龍馬の後継者としても有名ですが、明治政府の橋渡し役となった後藤二郎(ごとうしょうじろう)のおかげで、明治維新後に大きく飛躍するのです。

1869年(明治2年)に、九十九(つくも)商会を設立したあと、三菱商会、郵便汽船三菱会社など社名を変えながら成長し、 国内外のライバルに打ち勝つべく、三菱財閥の基礎を作り上げます。
そして、「東洋の海上王」との異名を持つ、三菱財閥の創始者となるのです。

政界と癒着するインサイダー商法のようなややダーティな方法で、三菱財閥を拡大していった岩崎弥太郎。
公益性を追求した渋沢栄一(しぶさわえいいち)とは真逆のイメージを抱く方も多いでしょう。
(現在と当時とでは、政治と経済の考え方が異なる可能性もありますが……。)

しかしながら、欧米列強の外資が激しく参入してくる中で、勇猛果敢に挑んでいった明治の実業家として、評価に値すべき人物でもあるのです。

岩崎弥太郎のゆかりの地その① 岩崎弥太郎生家


最初にご紹介する岩崎弥太郎ゆかりの地は、「岩崎弥太郎生家」です。

高知県安芸市にある岩崎弥太郎生家には、岩崎が幼少の頃に、“天下雄飛”の夢を託して作ったとされる、日本列島を模した石組みがあります。

当時、岩佐弥太郎はの家は農業を営んでいましたが、幼少の頃から日本全国を視野に入れるほどの器の持ち主でなければ、三菱財閥はできていなかったのかもしれませんね。

また、現在の三菱の「スリーダイヤ」は、岩崎家の“三階菱”という家紋のデザインに、アレンジを加えたものだと言われています。
ぜひ、三菱マークの由来となった家紋が刻まれた鬼瓦を、ご自身の目で見てみませんか?

◆岩崎弥太郎生家
場所:高知県安芸市井ノ口甲1631-1
電話番号:0887-34-8344(安芸観光情報センター)
開館時間:8:00~17:00(荒天の場合は閉門することがあります)
料金:無料


『岩崎弥太郎生家』



岩崎弥太郎のゆかりの地その② 三菱重工長崎造船所史料館


次にご紹介する、岩崎弥太郎のゆかりの地は「三菱重工長崎造船所史料館」です。

長崎造船所は、「東洋一の海上王」という異名を持った岩崎弥太郎にとって重要な存在で、日本の近代化に大きく貢献しました。

史料館の建物は、1898年(明治31年)に三菱合資会社三菱造船所ができた際に建設されたもので、第二次世界大戦中の空襲や原子爆弾の爆風にも耐えた赤煉瓦の建造物です。

建物内の史料館では、当時の写真や品々を交えながら、長崎造船所の歴史や岩崎弥太郎の偉業を知ることができますよ。
なお、見学は完全予約制となっていますので、電話予約が必要です!

◆三菱重工長崎造船所史料館
場所:長崎県長崎市飽の浦町1
電話番号:095-828-4134
営業時間:9:00〜16:30
休業日:毎月第2土曜、2016年12月29日~2017年1月4日
料金:大人(高校生以上)800円/小・中学生400円/未就学児 無料

『三菱重工長崎造船所史料館』



岩崎弥太郎のゆかりの地その③ 三菱一号美術館


次にご紹介する岩崎弥太郎のゆかりの地は、「三菱1号館美術館」です。

明治期に建設された「三菱一号館」を、再現した建物となっています。
英国人建築家のジョサイア・コンドルが手がけ、19世紀後半に英国で流行したクイーン・アン様式で建設されえた洋風事務所なんですよ。

1968年(昭和43年)に老朽化のために解体されましたが、2010年に完全復元し、美術館としてオープンしました。
三菱合資会社の銀行などが入っていた三菱一号館をそのまま再現した、ミュージアムカフェなどもありますよ。

定期的に企画展を行っているので、ぜひこちらでアートを楽しんでみませんか?

◆三菱1号館美術館
場所:東京都千代田区丸の内2-6-2
電話番号:03-5777-8600
営業時間:10:00~18:00
休業日:毎週月曜(祝日・振替休日・展覧会会期中最終週の場合は開館)
年末、元旦、展示替え期間
料金:展覧会により異なる

『三菱1号館美術館』



岩崎弥太郎のゆかりの地その④ 六義園


次にご紹介する岩崎弥太郎のゆかりの地は、「六義園」です。

六義園は、江戸時代に徳川5代将軍徳川綱吉の使用人であった、柳沢吉保が造営した大名庭園なんです。
柳沢吉保が約7年の歳月をかけて、回遊式築山泉水庭園を設計しました。

江戸二大庭園の1つとして数えられていましたが、幕府が倒れたことをきっかけに、荒廃の一途を辿っていました。
そして岩崎弥太郎が六義園を購入し、庭園は整備され、赤煉瓦の塀で囲まれたのです。

その後、1938(昭和13)年に“東京市”へ寄贈されました。

『六義園』
場所:東京都文京区本駒込6丁目
電話番号:03-3941-2222(六義園サービスセンター)
営業時間:9:00〜17:00(入園は16:30まで)
休業日:年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)
料金:一般300円/65歳以上150円/小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料

『六義園』



岩崎弥太郎のゆかりの地その⑤ 清澄庭園


次にご紹介する岩崎弥太郎史料館は「清澄庭園」です。

清澄庭園は、もともとは江戸時代の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷であったといわれており、その後、下総(しもうさ)関宿藩主の久世氏(くぜし)の下屋敷の庭園として築かれます。

しかし幕府の終焉とともに、衰退。岩崎弥太郎が買い取り、整備と造園が行われました。
三菱社員の慰安と賓客接待という目的を兼ねていたため、“深川親睦園”と呼ばれたようですよ。

岩崎弥太郎から岩崎弥之助へと社長が代わっても造園は続き、1891年(明治4年)に回遊式林泉庭園が完成します。

その後、関東大震災によって被害を受け、3代目社長の岩崎久弥によって、“東京市”に清澄庭園の半分を寄贈しました。
1973(昭和48年)には、残りの半分の敷地を寄贈し、現在の清澄庭園となったのです。

◆清澄庭園
場所:東京都江東区清澄2丁目・3丁目
電話番号:03-3641-5892(清澄庭園サービスセンター)
営業時間:9:00〜17:00(入園は16:30まで)
休業日:12月29日~1月1日
料金:一般150円、65歳以上70円 ※小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料

『清澄庭園』



岩崎弥太郎のゆかりの地その⑥ 三菱史料館展示室


次にご紹介する岩崎弥太郎のゆかりの地は、「三菱史料館」です。

三菱史料館は1966年、三菱経済研究所の付属施設として併設されました。
三菱グループの発足にいたるまでの、三菱関連の歴史的資料を幅広く収集・保管していますよ。

所蔵されている史料は、閲覧室でマイクロフィルを通して見ることができます。

展示室では三菱の歩みと時代背景を照らし合わせて解説しているので、わかりやすいですよ♪

◆三菱資料館
場所:東京都文京区湯島4-10-14
電話番号:03-5802-8673
営業時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)
休業日:土曜日、日曜日、国民の祝日、年末年始(12月28日~1月5日)など。
料金:無料

『三菱資料館』



岩崎弥太郎のゆかりの地その⑦ 東京海洋大学(旧三菱商船学校)


最後にご紹介する、岩崎弥太郎のゆかりの地は「東京海洋大学」です。
旧三菱商船学校でもあります。

現在の海外運輸システムは、空輸や船舶ですよね。
しかし、当時は空輸がないので、船舶が一般的でした。

明治新政府は、海外との取引を重要視。外洋で大型の商船の運行を務める商船士官の養成が先決と考え、国家的プロジェクトとなります。

そこで白羽の矢が立てられたのが、三菱財閥と川崎財閥です。
大久保利通は直々に岩崎弥太郎に依頼。その当時、郵便汽船三菱会社を経営していた岩崎弥太郎は、「私立三菱商政学校」を設立しました。

私立三菱商政学校は、明治政府から練習船「明治丸」が賞与されます。
現在は、東京海洋大学なりましたが、東京海洋大学の越中島キャンパスには「明治丸」が展示されているんですよ。

◆東京海洋大学(旧三菱商船学校)
場所:東京都港区港南4-5-7
電話番号:03-5463-0400

『東京海洋大学(旧三菱商船学校)』



おわりに


三菱財閥を築き上げた、岩崎弥太郎のゆかりの地をご紹介しました。
日本の経済に大きな影響を与えた人物ですが、庭園や学術など、結果的に文化保護の面でも貢献している人物です。
そんな岩崎弥太郎ゆかりの地へ足を運び、当時の激動の時代へ思いを馳せてみませんか?




情報提供元: 旅色プラス