バイクブーム&レーサーレプリカ人気が真っ只中の1986年(昭和61年)に登場した「ヤマハ YSR50/80」は、ロードレースの最高峰・世界GPに参戦していたヤマハのワークスモデル「YZR500」の縮小版として、レースファンやミニバイクレーサーに支持された50cc/80ccスポーツモデル。空冷ながら、7馬力(80は8.8馬力)を発揮する2ストローク単気筒エンジン、サーキットでも使える5速ミッション、フロントディスクブレーキなど、本格的なスポーツ走行も可能にするスペックを備え、ミニバイクレース(12インチクラス)の定番モデルにもなった。


REPORT●北 秀昭(KITA Hideaki)

「12インチ車=GPレーサーの登竜門」とレース関係者にも言わしめた、元祖12インチモデル・ヤマハ YSR50/80

初期型(1型)のヤマハワークスカラー。

初期型(1型)のヤマハワークスカラー。

 ヤマハ・レーシング・テクノロジー。その結晶、「YZR500」のエッセンスを全身に受け継ぎ、ライディング・スポーツに新しい風を吹き込む……(YSR50/80のカタログより)。




 日本全国にバイクブーム、そしてレーサーレプリカブームが吹き荒れた、1986年(昭和61年)にリリースされた50ccモデル「YSR50(3月発売)」と、80ccモデル「YSR80(9月発売)」は、ヤマハの世界GPワークスマシン「YZR500」のミニ版として登場したレーサーレプリカだ。




 前後ホイールは、YSR50/80発売の1ヶ月前(2月発売)に登場した「スズキ GAG」の10インチよりも大径の、12インチに設定。ボディサイズも非常にコンパクトで、全長は同社の50ccフルサイズスポーツモデル「RZ50」よりも340mm短い、1570mmに設計されている。

「Y・E・I・S(ヤマハ・エナジー・インダクション・システム」のしくみ(月刊モト・チャンプより)。詳しくは写真をクリック!

 フレームは角型鋼管を採用した、新設計のダイヤモンドタイプ。これに角型のスイングアーム、モノクロス型リアショックを組み合わせ。




 ミッションは5速を採用。左右のステップ&ステップ周りは軽量なアルミとし、チェンジペダルはレーサーと同様、リンクを介さないダイレクトタイプが導入されている。




 フルカウルの外装は、前年にデビューした兄貴分「TZR250」に似た、レーサーそのものの、アグレッシブなフォルムにデザインされているのがポイントだ。




 エンジンはヤマハのアメリカンモデル「RX50/80」用をリファインした、空冷2ストローク単気筒を採用。50ccモデルは、空冷4ストロークエンジン搭載の「スズキ GAG」を遥かに上回る、7馬力(GAGは5.4馬力)を発揮。マフラーはスポーティなチャンバータイプを装備している。




 YSR50/80には、吸気側にチャンバーを設置し、吸気効率を向上させるための「YEIS(Yamaha Energy Induction System)も採用済み(ヤマハのスポーツモデル・RZ50などにも採用)。




 フロントは正立型フォークに、油圧式ディスクブレーキを採用(リアブレーキはドラム式)。前後ホイールは、ミニバイクレースブームの先駆けとなった“12インチ”を採用。タイヤはフロントに3.50-12、リアに4.00-12の各サイズをチョイス。




 トップブリッジにクリップオンされたセパレートハンドル、透過照明式のホワイトメーターなど、レーサー然としたハンドル周りも特徴的。

ヤマハワークスマシン「YZR500」。写真はマルボロカラー。

 1985年の同型モデルを発展させた、ヤマハのGP500ファクトリーマシン「YZR500」。V型4気筒エンジンのさらなる出力向上、車体ディメンションの最適化、シート形状の変更などが施され、ロードレースの最高峰「世界GP 500ccクラス」では、エディ・ローソンが2年振り、2度目の世界チャンピオンを獲得した。




 エンジンは水冷2ストロークV型4気筒499cc。クランクケースリードバルブ、6速トランスミッションを採用。最高出力は145馬力以上。

NSR50を駆る、ミニバイク時代の加藤大治郎(第一回JMCCにて/月刊モト・チャンプより)。12インチモデルを足掛かりにロードレースで活躍したライダーは数多い。

 YSR50/80は、発売とともに大ヒット。特に全国のサーキットでは、YSR50を駆った若きレーサーたちが大挙して出場し、ミニバイクレースの主役は、YSR50が出場する12インチクラスとなった。




 YSR50/80が登場した翌年の1987年(昭和62年)、ホンダが水冷2ストロークエンジン搭載の7.2馬力モデル「NSR50」をリリース。サーキットでは12インチクラスの人気が増し、原田哲也、加藤大治郎、中野真矢、ノリック(阿部典史)、青木三兄弟など、世界を舞台に活躍した偉大な日本人ライダーを続々と排出。『12インチ車=GPレーサーの登竜門』というイメージを確固たるものにした。




 なお、1987年(昭和62年)に発売されたNSR50の価格は21万9000円。一方、YSR50は18万9000円(YSR80は21万9000円)。7.2馬力の水冷エンジンやディスク式リアブレーキなど、NSR50は“価格に見合った”徹底したつくりが特徴。




 YSR50は空冷7馬力エンジンやドラム式リアブレーキなど、NSR50よりも機能面でハンデを背負っていたが、「NSR50よりも3万円安い」「NSR50に比べてコストパフォーマンスが高い」「オレはヤマハ党」などの理由から、“レースではNSR50が優勢”だったものの、多くのミニバイクレーサーたちに支持された。

1986年(昭和61年)2月に登場した、スズキGAG(ギャグ)。詳しくは写真をクリック!

 YSR50/80が登場した1986年(昭和61年)は、レーサーレプリカが大ブームの頃。「パワーのあるモデルが1番」という図式が確立されていた時代だった。




 そんな時代、YSR50/80に先駆けて登場したのが、「スズキ GAG」。GAGは前後10インチホイール、5.2馬力の空冷4ストローク50ccエンジンを搭載した、『GSX-R風のフルフェアリングを標準装備した、レプリカのミニサイズレジャーバイク』として登場。




 レーサーレプリカ=2スト250ccや4スト400ccがメジャーだった当時、「4スト50ccで。しかもポケバイとGSX-Rを足して2で割ったような」、既存の常識をくつがえしたGAGの登場は、センセーショナルかつ、“エキセントリック”なモデルだった。




 遊ひ心をそのままマシンに投影した、斬新なGAGに対して、YSR50はGAGの5.2馬力を遥かに凌ぐ、過激な7馬力の2ストロークエンジンを搭載。スパルタンな2ストロークエンジンを搭載したYSR50の走りは、マイルドな4ストエンジン搭載のGAGよりも、パワフルかつスポーティだった。つまり、GAGとは目指す方向が違っていた。




 ------ヤマハ・レーシング・テクノロジー。その結晶、「YZR500」のエッセンスを全身に受け継ぎ、ライディング・スポーツに新しい風を吹き込む……(YSR50/80のカタログより)------




 YSR50/80というモデルは、パワフルなエンジン、強靭な足周りはもちろん、ワークスレーサー「YZR」の直系イメージを与えた「YSR」というネーミングからも分かる通り、“ストリートはもちろん、レースでも速いモデル”を目指した本気のモデルだったわけだ。

2ストのYSR50とバトルを展開した「オートボーイ」のGAG改(モト・チャンプ臨増/1987年より)。

 当時のミニバイクレースの小径クラスでは、NSR50やYSR50の2ストローク勢に対し、GAGはシリンダーヘッドの交換やボアアップ等のチューニングで対抗。チューニングにお金のかかる4ストロークエンジンのGAGに比べ、2ストロークエンジンのNSR50やYSR50は、チャンバーやCDIの交換のみで安価に、しかも手軽にパワーアップできるのがポイントだった。




 イエローの♯23は、「まるちゼロハン耐久」というミニバイクレース全盛期のビッグレースで、4ストクラスを連覇し続けていた、パーツメーカー「オートボーイ」のGAG改。このGAG改は、当時大人気だったヤマハの2ストマシン・YSR50と、対等に渡り合うほどの実力を発揮。空冷2ストのYSR50 vs 4ストのGAGという対決の図式は、激化していった。




 この後、NSR50が登場。小径の12インチクラスは、ホンダNSR50とヤマハYSR50(後にTZM50Rへと継承)の2モデルが定番となった。

 ヤマハ YSR50/80は、1986年(昭和61年)から1992年(平成4年)まで生産された。1987年(昭和62年)、YSR50/80のライバル車である「ホンダ NSR50/80」が登場したのをきっかけに、YSR50/80はポテンシャルを高めた“2型”を投入。




 2型の特徴は、




・1型の「ダイヤモンドフレーム」から、高強度な角パイプを採用した「ダブルクレードルフレーム」を採用




・フロントのディスクローターをマルチホール(穴あき)化




・キャスター角の見直し




・ステップにバンクセンサーを装備




・1型に比べ、ブレーキペダルを内側にオフセット




・スチール鍛造製ハンドルを採用




・エンジンの機搭載方法やマフラー装着位置などを変更




 などにより、ポテンシャルを大幅にアップさせている。




 YSR50/80は、標準カラーに加え、世界GPのヤマハワークスマシン「YZR500」の『マルボロカラー』『ラッキーストライクカラー』、また「YZR250」の『UCCカラー』、鈴鹿8時間耐久レースのヤマハワークスマシンの『TECH21カラー』など、ワークスマシンのカラーリングが限定販売された。




 1993年(平成5年)には、“打倒NSR50”を目指して開発された、水冷2ストローク50ccエンジン搭載の「TZM50R」が登場。12インチスポーツモデルの座をバトンタッチした。

ヤマハワークス

ゴロワーズカラー(ファラフェーブルー)

ゴロワーズカラー(ファラフェーブルー)

限定販売のマルボロカラー

限定販売のマルボロカラー

限定販売のTECH21カラー

限定販売のTECH21カラー

1985年(昭和60年)、鈴鹿8時間耐久レースに出場したTECH21カラーの伝説のマシン「FZR750(0W74)」。

 市販スポーツモデル「FZ750」をベースに開発された、“TECH21カラー(※注1)”の耐久レース仕様のTT-F1ファクトリーマシン。エンジンは水冷4ストロークDOHC 5バルブ並列4気筒で、排気量は749cc。




 ホイールベース短縮のため、前傾45°から35°に変更されたシリンダー傾斜角と、F.A.I.(フレッシュ・エア・インテーク)を採用。そのため、エンジンは専用設計のアルミデルタボックスフレームに搭載された。




 1985年(昭和60年)の鈴鹿8時間耐久レース(鈴鹿8耐)では、ケニー・ロバーツ/平忠彦のペアで出場。レース終盤、マシントラブルによってリタイヤしたものの、圧倒的なパフォーマンスで15万人以上の観衆(バイクブーム真っ只中にあり、鈴鹿8耐も大人気だった)を魅了した。




 トランスミッションは6速。最高出力は130馬力以上を発揮。




※注1:「TECH21(テック・トゥーワン)」とは、化粧品メーカーの「資生堂」が1980年代に投入した男性用化粧品(整髪料など)ブランド。当時大人気だった日本人ライダー・平忠彦をメインキャラクターに、プロモーション活動が展開された。

ヤマハワークスカラー

ヤマハワークスカラー

限定販売のUCCカラー

限定販売のUCCカラー

※数値は1型/カッコ内は80


全長×全幅×全高:1575mm×635mm×930mm


ホイールベース:1055mm(1060mm)


最低地上高:120mm(115mm)


シート高:650mm


乾燥重量:75kg(76kg)


最小回転半径:2.4m


乗車定員:1名


エンジン:空冷2ストローク単気筒


排気量:49cc(79cc)


吸気形式:ピストンリードバルブ


ボア×ストローク:40mm×39.7mm(49mm×42.0mm)


圧縮比:7.4(6.1)


最高出力:7ps/8800rpm(8.8ps/8000rpm)


最大トルク:0.59kgf・m/8500rpm(0.81kgf・m/7500rpm)


燃料供給方式:キャブレター


燃料供給装置形式:VM16SH


燃料タンク容量:8L


エンジン始動方式:キックスターター式


点火装置:CDI式


2ストエンジンオイルタンク容量:0.70L


クラッチ形式:湿式多板


変速機形式:リターン式5段変速


1次減速比:3.578


2次減速比:3.666(2.642)


変速比:1速 3.250/2速 2.000/3速 1.427/4速 1.125/5速 0.961


動力伝達方式:チェーン


スプロケット歯数:前12(14)


スプロケット歯数:後44(37)


チェーンサイズ:420


標準チェーンリンク数:100


フレーム型式:ダイヤモンド


キャスター角:26°


トレール量:67mm


ブレーキ形式(前):油圧式ディスク


ブレーキ形式(後):機械式リーディングトレーリング


懸架方式(前):テレスコピックフォーク


フロントフォークタイプ:正立フォーク


懸架方式(後) スイングアーム式


タイヤ(前):3.50-12


タイヤ(後):4.00-12


ホイールリム幅(前):2.5


ホイールリム幅(後):2.5


当時の発売価格:18万9000円(21万9000円)
情報提供元: MotorFan
記事名:「 ホンダ NSR50/80のライバル、「YSR50/80」を知る。