2012年にトヨタ86が発売されると同時に、全国のトヨタ販売店に生まれたのがAREA86であり、AREA86マスタースタッフと呼ばれるスタッフだった。彼らは「クルマ好き、スポーツカー好き、モータースポーツ好きを増やそう!」という志のもと、全国のスタッフが心を一つにこの大きなテーマに取り組み始めた。


そのAREA86誕生時に、AREA86ネッツトヨタ茨城でマスタースタッフ1期生として就任した山川寿久さんだったが、2018年8月末、長きにわたる闘病生活の末に天国へと旅立たれた。


当初は不安も大きかったAREA86とマスタースタッフを、まさにリーダーとして牽引してきた山川さん。闘病中もフェイスブックを中心としたSNSを通じて、時にユーモアを交えながら皆を勇気づけてきた。


そんな山川さんの訃報に接し、全国の元マスタースタッフからメッセージが届いている。ここにご紹介したい。きっと山川さんも、天国でネットを見てくれているような気がするのだ。

西畑正人さん(トヨタカローラ姫路)


 突然の訃報に驚きを隠せません。


 山川さんを失った悲しみより、志半ばで仲間を失った悔しさの方が勝ってる気がします。


 山川さん(以後、るぱんと呼ばせていただきます)との出会いは、AREA86のマスタースタッフ(MS)専用のSNSでしたね。


誰もが書き込まず、利用していない頃に「勇気!」のタイトルでスレを立ち上げて真っ先に動き出してましたね。


 そのスレに勇気付けられ、勇気を出して一歩踏み出した私の「86な日々…」


そこから多くのMS仲間に恵まれ、またメーカーやメディアの方々、3rdパーティー各社、ユーザーさんといった業界関係者の皆さんとの繋がりを持てるようになり、「点」だった個々が「線」になり「輪」となっていき「絆」が出来たと思います。


 お会いしたのは1度だけでしたが、昔からの友人の様な感覚であり、同じ方向を向き、同じ志を持って前を見て共に歩んで来た「同士」でもあり、大切な仲間でした。


各地を飛び回り、神出鬼没な行動に怪盗ルパンから「るぱん」とあだ名を付けたことが昨日のような気がしてなりません。そこから皆にあだ名が付いていった気もします。


 各地のAREA86を回り始めたのもるぱんでしたね…。


県内の各販売店のスタッフをまとめ始めたのもるぱんでしたね。


県内のMSをまとめ「茨城軍団」が出来て、それを参考に「兵庫県人会」を立ち上げたところ…いつの間にか【B・B・P 86 JAPAN】になりましたが、それがさらにMSや活動の勢いを加速させたと言っても過言ではないと思います。


何か行動が起きる時に、必ず陰にはるぱんの存在がありましたよ。


MSから卒業した後にも他のスタッフを支えてくれてましたね。


私ら、AREA86 MasterStaffの1期生の中心的な存在であり、手本でもあり、大切な仲間でした。そして…2期生、3期生と増えていきましたが…るぱんを知らないMSも多くいましたが、るぱんのとった行動や活動を参考に展開することで今のGR Garageの基礎にもなったんではと思います。


 僅か1年足らずのMSとしての活動期間でしたが、そんな肩書きなど関係なく付き合わせていただき、見本にさせていただき、時には厳しく、時には冗談を交えながら意見の交換をさせていただいた事…。


 昨日のように思い出されます。


 病気の事が分かった後にも誰にも心配させないように配慮が見られましたね。看護師詰所での画像やドローンネタ…自宅の畑ネタ…グリーンカップ等のイベント…。


 いつか必ず病魔に勝ち復活するものだと思って待ってたのですが…残念でなりません。


 仲間を失った悲しみも言葉に出来ないくらいですが、それ以上に志半ばにして力尽きたるぱんを想うと悔しかったろう…と思うばかりです。


地元の友人や会社の同僚以上の繋がり…「絆」を感じながらのこの6年間…。


「勇気!」を見せてくれた活動と闘病生活…。


 もうるぱんに会うことは叶わなくなってしまいましたが、私たちの心と活動の中にはるぱんは生き続けていますよw


 これからもずっと…私ら仲間ですから。


 クルマにバイクにカートに…好きなだけ乗ってください。どこまででも走っていってください。


 そして…残された私たちの活動、見守ってくださいね…。


 生まれも育ちも…住んでる地域も販売店・チャネルも違っているにも関わらず強い絆で結ばれた仲間ですから…私ら…忘れません。るぱんの事を…。


 さよならとは言いません…先に行くだけですからね。


 待っててくださいね、私らみんな後で行きますから…。


 皆んなで遊べる場所を作って待っててくださいね…。




 ただ、今は…ゆっくりと休んでください…。




 勇気を…ありがとう…。

白石和也さん(茨城トヨペット)


 初めての出会いからおおよそ20年。86が縁でかけがえのない仲間になり、何やかんや言いながら写真の5人で色々やってきました。


 兄さんにとって、4年という闘病の日々は、苦痛と苦難にいつも苛まれていたはずなのに、気づけばいつもこちらが勇気付けられていました。


 発覚当時から余命幾許と言われていたのに、医者の予想をことごとく覆し、自分の中で兄さんはまさしく「奇跡の人」でした。苦痛や苦難から解放された今は、ただただお疲れ様と伝えたいと思います。






橋本章宏さん(トヨタカローラ中京)


 AREA86発足・TOYOTA86の発売で知り合い早6年、今まで知り得なかった全国のマスタースタッフと知り合う事ができました。その中の一人が山川さんでした。スタッフリンクというマスタースタッフだけのSNSで皆とやり取りをして、有志で「B・B・P 86 JAPAN」というクラブを作り、より全国の仲間との繋がりができ…その中でも山川さん、貴方は中心となり我々に「勇気」を与えてくれました。


 その後貴方が病を患ったと聞き、白石さんや西川さん、小林さんとサプライズでお見舞いにお邪魔しました。あの時が初めて顔合わせして、SNS上ではいつもやり取りをしていましたが「はじめまして」と挨拶して皆で笑いましたよね。それから数年後に86Styleではブースにも顔を出してくれました。


「早く元気になって皆で集まろう!皆と遊ぼう!」と言ってくれたのに、もう貴方がいないじゃないですか…。貴方は我々スタッフと同じ「お客様に楽しんでもらおう」「クルマ業界を盛り上げていこう」と志を持った「仲間」であり「同志」でした。山川さんの訃報を聞いたときは正直信じられませんでした…。もちろん今でも…。


 だからサヨナラは言いませんよ。まずは今まではクルマファン作り、「お疲れさまでした」。そしてこれからはゆっくりと山川さんの好きなクルマやバイク、飛行機を楽しんで下さいネ。


 チョット遠いところにいってしまいましたが、これからもクルマ好きの仲間を見守っていて下さい!






西川泰広さん(三重トヨペット)


 今、病院の待ち時間に書いています。


 山川さんの訃報、本当に残念でなりません。


 実際にお会い出来たのは3年前の3月、お見舞いに行かせていただいたときでしたかね?ネット上で繋がっていたので、よく分からなくなってます。


 実は私も原因不明の難病を患っており、勝手に親近感を覚えておりました。


 そしてただ漠然と、山川さんなら乗り越えてくれ、一緒に皆でお祝いができる日が来るのではないかと考える反面、いつかこんな日が来るかも…と思う日もあったり。




 想いは尽きませんが、この辺で止めておきます。




 山川さん、悔しくてしかたないですよね…。


 やり残したことも沢山たくさんあるでしょうし…。


 これからは空の上から見守ってあげて下さいね。


 長い闘病お疲れ様でした。

新井努さん(トヨタカローラ栃木)


 AREA86のマスタースタッフになり、1番最初にアポなし訪問をさせていただきご対応した頂いたのは今でも鮮明に覚えています。いつでも真剣で優しく、熱く先頭に立って行動する山川さん……。『勇気!』の一言で全国のAREA86の仲間達をまとめ上げ、みんなのキーワードになり今でも引き継がれてます。


今度はお空の上から勇気を送ってください。






立花伸一(島根トヨペット)


 山川さんから頂いた「勇気」はこれからずっと生き続けます。僕らの心の中に生き続けます。今は全てから解放されて、ゆっくりしてください。

浪江呂和(トヨタカローラ京都)


 残念です。


 一緒に京都市内を86でドライブしながら、語らいあったあの時間・思い出は宝物です。


ありがとうございました。


 心よりご冥福をお祈りいたします。






小野 裕幸(トヨタカローラ浪速)


 フェイスブックでのやり取りだけで皆さんみたいに写真などはありません。 いつか会えると思っていたのに……とてもとても残念です。

山口 拓也(トヨタカローラ神戸)


 神戸まで来てくれたのが嬉しかったです。同じ店長兼マスタースタッフでしたので意見交換しましたね 本当、残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。カート対決出来なかったのが心残りです。






西田 雄彦(ネッツトヨタ富山)


 何処へ行っても、女の子との写真が得意でしたね! 長い戦い、お疲れ様でした…。ご冥福をお祈りいたします。

石山 優仁(富山トヨペット)


「勇気」と言う絆は永遠に続けていきますからね!ルパンもとい山川さんヽ(^○^)ノ






島岡 裕人(奈良トヨペット)


 フェイスブックではたくさんの元気をいただきました。いつか、会える。マスタースタッフだったから笑える話、苦労した話ができる。そう夢見ていましたが、残念です。心よりご冥福をお祈りします。




  ★   ★   ★




トヨタ86後期が誕生したときに、秘かに山川さんに試乗していただく企画を温めていたのですが、実現力不足で叶いませんでした。今となっては残念でなりません。山川さんの志を残された我々も心に刻み、「勇気」をもって今後の日々を過ごしていきたいと思います。山川寿久さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。(編集部)

情報提供元: MotorFan
記事名:「 志半ばで旅だったAREA86マスタースタッフ山川さんへ