(画像=高橋カーテンウォール工業株式会社)
高橋 武治(たかはし たけはる)――高橋カーテンウォール工業株式会社代表取締役
1972年12月9日生まれ。東京都出身。96年東京大学法学部卒業 旧第一勧業銀行入行(現みずほ銀行)2000年高橋カーテンウォール工業株式会社入社、03年アメリカ デューク大学 ビジネススクール卒業。2004年同代表取締役社長に就任。
高橋カーテンウォール工業株式会社
1951年に創業し、現社長の祖父、高橋 久男が旧浅野セメント(現太平洋セメント)を退職し創業。次男 高橋 治男が継承し1965年に高層ビルの外壁を作るカーテンウォール事業参入。後発ながら業界No.1の座を獲得。1990年には、JASDAQ(現東証スタンダード)で株式公開する。その後、さまざまな多角化に挑戦。現社長の高橋 武治が事業をPCカーテンウォール事業とプール施工事業(現アクア施設部)に集約。さまざまな脱炭素手法を研究し、ホタテの貝殻などを利用したブルーカーボン商品に注力中。

これまでの事業変遷について

(画像=高橋カーテンウォール工業株式会社)

冨田:それではまず、創業から現在に至るまでの事業変遷について教えていただけますでしょうか。

高橋カーテンウォール工業株式会社 代表取締役社長・高橋 武治氏(以下、社名・氏名略): 私が社長になって、一番大きな試練は2008年のリーマンショックでした。建設業界すべての会社が厳しい環境に陥り、当社も3期連続赤字になりました。しかし、新しい人員配置によって工場の収益力が上がり、人によってこんなに収益が変わるのかというのを実感した良い機会でした。

リーマンショック当時、関西事業の収益は高くありませんでした。一世代前の工場長たちはみんないいお父ちゃんという感じで、管理が緩かったんです。 そこで、滋賀工場に管理能力の高い工場長を1人送り込んだのですが、緩い管理に慣れていた社員が多数だったため、うまくいきませんでした。工場長を一人にしておくと潰れると思い、関東から追加で2人の精鋭を送りました。3人がきちんと管理すると、収益がどんどん上がって高収益の拠点になりました。 その後、彼らは関東工場に戻って改善に着手したところ、収益が劇的に良くなりました。人によって収益が大きく変わるというのを学びました。

経営判断をする上で最も重視していること

冨田:次に、高橋社長が経営判断をされる上で最も重視されていることを教えていただけますでしょうか。

高橋:私が、経営判断をする上で最も重視しているのは「人として正しいことをする」ことです。 私は稲盛さんの盛和塾に入っていて、稲盛さんの仰っていたことをそのまま経営理念に利用させてもらっています。

私は、稲盛さんが渡してくれた「人として正しいことをしろ」という判断軸をなるべく守ろうと頑張っています。例えば、お金がかかる提案をするとき社員から「このお金使っていいでしょうか?」と恐る恐る持ってこられることがあります。経営者はお金をかけることを嫌がる傾向があるからです。私はそういう時に「人として正しいのは何か?」と社員に問いかけます。そうすると社員は安心して途端に生き生きと話し始めます。そしてだいたい適切なところに辿り着きます。社長をないがしろにするのは論外ですが、社長がどう思うか、ばかり気にしている組織は健全ではないですよね。

経営者としてのルーツ、過去の経験から積み上がったご自身の強み

冨田:高橋社長の経営者としてのルーツや過去の経験から積み上げた強みを教えていただけますでしょうか。

高橋:私の経営者としてのルーツは、父が社長だったことです。 父が社長だったので、小学生の頃から自分も社長になるんだろうと薄々思っていました。 家で見る父は、普通の人だったので、これなら自分でもできる、と思っていました。勘違いでしたが。(笑) さらに、母のルーツも商売人で、その昔は新潟で1番最初にトラックを買った家だったんです。没落しましたけどね。母からは、「どんなに性格が良くても会社を潰したらおしまい」と言われていました。

私の強みは、組織が強くあり続けるためのお金にこだわっているところです。 私は両親からだけでなく、歴史からもお金の重要性を学びました。中国の歴史から見ると、国の発展と衰退にはお金が大きく関与しています。王朝ができたときは、軍事力が強いのでありあまるお金が集まります。しかし、代を重ねるにつれて、子孫は贅沢になり、惰弱になります。徐々に財政が厳しくなってゆくなか、異民族が強くなって攻めてくるので、国防費がかさむようになり、人民に重税を課します。すると民が食えなくなって反乱を起こすようになり、その対応でまたコストがかかり、急速に衰退してゆき、次の王朝に倒されるのです。

3期連続赤字のときに話を戻すと、当時、銀行から厳しい対応を受け、その手のひら返しに社員が憤慨していました。しかし、私は彼に「これは身から出た錆である。銀行とて、こういう対応したくてしているわけではない。三期連続赤字になった我々の問題なのだ。」と諭しました。私は経営者として、お金にこだわらない人は経営者を辞めた方が良いと考えています。私はお金を極めて大事だと思っていて、それは個人の利益を得るためではなく、組織を強くするためです。

思い描いている未来構想

冨田:高橋社長が思い描かれている貴社の未来構想を教えていただけますでしょうか。

高橋:これからは私たちのビジョンにも掲げているデザインと環境を軸に事業を拡大していきたいと思います。私たちは、ミッション・ビジョン・バリューを設定しており、ビジョンに「デザインと環境で世界をリードする」というものを設定しています。

まず、デザイン面では、技術者を維持しつつ、デザイン力を高めていくことが大切です。 私たちの仕事は、非常に立体的で難易度が高く、特にデジタル設計が可能になった今では、どんどん複雑になっています。それに対応するために、技術者を維持し、デザイン力を高めていく必要があると思っています。これからはデザイン提案力もつけたいです。

環境面では、脱炭素の動きをしている設計事務所やゼネコンから依頼があり、共同研究を重ねています。しかし、日本の建築は脱炭素を実現するために高コストを負担するまでの状況にないと私は思っています。一方、環境に配慮しているというポーズを取りたいと考えています。そこで、私たちは環境に配慮した商品の開発もしています。

ZUU onlineユーザーならびにその他投資家へ一言

冨田:最後に、ZUU onlineの読者に向けたメッセージをお願いいたします。

高橋:私たちは派手な会社ではありませんが、関わっている作品は、東京都庁、ザ・ペニンシュラ東京、パレスホテル東京、渋谷パルコなど誰もが知る建物です。大阪では最近、大阪中之島美術館という黒いボックスのような美術館も手がけました。今後も東京を代表する大規模ホテルの建替えや地域の再開発など、街並み作りに関わっていきます。デザインがどんどん複雑化してゆくなか、我々がしっかり実現させますので、楽しみにしていてください。

また、個人的な話ですが、私は50歳になりました。これまで様々な経験を積み、気力・体力ともに充実して働ける最後の10年だと考えています。この10年で一花咲かせ、悔いのない50代にしたいと思っておりますので、どうぞご期待ください。

氏名
高橋 武治(たかはし たけはる)
社名
高橋カーテンウォール工業株式会社
役職
代表取締役社長
情報提供元: NET MONEY
記事名:「 正義の経営哲学:「人としての正しさ」が導くビジネス革新