ヒロシマを騒がせた日々が終わり、平和記念公園のボランティアガイド、三登浩成(みとこうせい)さん(77)=広島県府中町=の日常が戻ってきた。原爆投下時は母親のおなかの中にいた胎内被爆者。2006年夏から原爆ドーム前に立ち続け、得意の英語でこれまで9万人以上の外国人を案内した。「大切なことは広島を訪れた後の行動。首脳たちのこれからを注視しながら、自分はこの場所から世界に平和の種をまき続ける」。なすべきことは変わらない。

 主要7カ国首脳会議(G7サミット)の閉幕から一夜明けた22日朝、規制が解除された平和記念公園に三登さんの姿があった。自転車に積んできた自作のガイドブックは英語やフランス語、スペイン語など8カ国語で用意してある。自身の被爆者健康手帳の写し、105歳になった母親や被爆翌月に亡くなった祖父の紹介文などを柱に張り出す。「胎内被爆者」と日英2カ国語で書いたネームホルダーを首にかけて立つと、すぐに外国人客20人ほどに囲まれた。「どこから来たの?」と英語で尋ねると、ベルギー、ドイツ、オーストラリア、オランダ、イギリス……と返ってきた。

176カ国、9万人あまりを案内

 原爆で左脚を失いながら車椅子で証言活動を続けた沼田鈴子さん(11年に87歳で死去)に感銘を受け、高校の英語教員を退職後にガイドを始めた。荒天の日以外は原爆ドーム前に立ち続け、「この場所には臨場感がある」と離れない。外国人を案内すると持参のメモ帳に国籍別に人数を記し、今年4月末までの累計は176カ国の9万2000人余りに。活動は海外でドキュメンタリー映画にもなった。

 サミット期間中は平和記念公園に入れず、周りを囲ったフェンスの外で遠目に原爆ドームを見ながらガイドをした。「大学時代に広島と長崎への原爆投下をテーマに研究したという若いアメリカ人男性を案内したよ。広島を訪れるアメリカ人は、原爆について知りたいという目的意識と熱意がある。こうした世代が多数派になれば『原爆正当化』の世論も変わるはず」

 来訪者の質問は直球だ。「アメリカは憎くないのか」「原発をどう思うか」。こうした対話を長年続けてきたからこそ、G7サミットに参加した首脳たちの言葉が空虚なことに失望する。「長年ガイドをしてきて、海外から来た人にとっては被爆者である私と話をしたことに感動しているのが分かる。サミット前に唯一期待したのは、首脳たちが被爆者に会うことだった」

核被害の本質に言及乏しく

 初日のG7首脳、最終日の主役になったウクライナのゼレンスキー大統領とも、原爆資料館の滞在時間は被爆証言者の小倉桂子さん(85)との対話を含めて約40分。「被爆の実相をあの短い時間で理解できたとは思えない。観光に当てた時間をもう少しでも割いてくれたならば……。資料館の芳名録への記帳や記者会見で、破壊された街並みへの言及はあったけど、それは他の戦地にもある光景。核被害の本質である放射線被害にしっかりと触れた首脳はいなかったね」と指摘する。

 岸田文雄首相が胸を張った核軍縮のG7首脳声明「広島ビジョン」は核兵器禁止条約に言及せず、核抑止を肯定する記述があり、「被爆者」の言葉さえなかった。「日本は唯一の戦争被爆国で、ならばアメリカは唯一の核戦争加害国。核を使った国に反省がなく、他の国には核を使うなといっても何の説得力もない。それをただせるはずの日本が役目を果たそうとしないのが悔しい」と怒りのトーンを強める。

将来への責任「自覚を」

 「ただ」と三登さんは続けた。「首脳たちの心の内は分からない。国のリーダーとして生の声は出せないジレンマもあるだろう。だからこそ、これから何をするかを見たい」。7年前、オバマ米大統領(当時)の広島訪問は「歴史的瞬間」と沸いたが、「その後、オバマ氏は核廃絶や核軍縮のため何をしたの? オバマ氏は退任後も発信力があるのだから、本気であるなら広島に戻って来られるはず」と厳しい。

 三登さんはガイドする際、1981年に広島を訪れたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の「平和アピール」から一節を紹介する。「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うこと」--。広島を訪れたリーダーたちにも、広島の市民にも、その自覚を持ってほしいと願う。

 帰宅すると1通のメールが届いていた。「あなたのメッセージをニューヨークに戻ったら広めたい」。22日にガイドしたアメリカ人学生からだった。「平和の種がまた一つ芽吹いたよ」。三登さんの声が弾んだ。【宇城昇】

情報提供元: 毎日新聞
記事名:「 「米国は憎くないのか」直球質問さばく広島のガイド 首脳の今後注視