富士重工業(現SUBARU)は1993年、中核車に成長していたレガシィのフルモデルチェンジを実施し、2代目となるBD/BG型系に切り替える。継承と熟成をテーマに掲げて開発した新型は、従来をいっそう上回る販売台数を記録。富士重工業の経営再建のバックボーンに昇華した。今回は「5ナンバー規格の高性能車」として大成功を収めた第2世代の“伝承、遺産”の話で一席。



 





【Vol.101 2代目 スバル・レガシィ】





新世代のミディアムクラス車となるレガシィ(BC/BF型系)を発売し、ヒット作に発展させていた1990年代初頭の富士重工業。一方で同社の開発部門では、次期型レガシィの企画作りに鋭意邁進する。「2代目の成功なくして、富士重工業の将来はありえない」という社内全体での共通認識のもと、次期型は当初、ボディを拡幅した3ナンバー規格で6気筒エンジンを搭載する旨を計画した。バブル景気の最中だったこともあり、当時の他社製のミディアムクラス車はこぞって3ナンバー規格化を推進し、富士重工業もこの流れに乗ろうとしたのである。しかし、初代と同様に“スバルらしさ”の具現化を目指した開発チームは、3ナンバー規格化に待ったをかけた。意図する性能、開発期間やコスト、販売ディーラーの意見などを踏まえた結果、5ナンバー規格で勝負することを決断したのだ。そして、商品コンセプトには「継承と熟成」を掲げ、5ナンバーサイズのままでの高性能化と上質化、居住性の引き上げなどを画策した。



 





グランドツーリング性能に磨きをかけた第2世代のレガシィは、まず1993年9月に米国ソルトレイクで世界最速ワゴンの記録を樹立(249.981km)し、翌10月に市場デビューを果たす。ボディタイプは従来と同様にサッシュレス4ドアセダン=ツーリングスポーツ(BD型)とツーリングワゴン(BG型)の2タイプを用意。メイン車種となるワゴンではイメージキャラクターに英国のロックスターのロッド・スチュアート氏を起用し、「ワゴン時代の1stカー」とアピールした。





2代目の基本骨格は、従来型を踏襲しながら大幅な改良が実施される。剛性を高めたモノコック構造のボディは従来型比+50mmの2630mmというロングホイールベースを確保したうえで、張りのあるダイナミックな面構成や絞り込んだ前後端などでスポーティなルックスを創出。そして、ツーリングワゴンはルーミーな6ライトウィンドウや2段ルーフといった従来からのアイデンティティを洗練度を増しながら継承し、一方でツーリングスポーツは6ライトウィンドウやハイデッキテールなどを盛り込んでオリジナリティ性を強調した。ボディサイズはツーリングワゴンが全長4670×全幅1695×全高1490mm(GTグレード)、ツーリングスポーツが全長4595×全幅1695×全高1405mm(GTグレード)に設定する。また、デザイン工程では元ダイムラー・ベンツのデザイン部門マネジャーであるオリビエ・ブーレイ氏が参画した。



 





インテリアについては、ドライバーの快適性を高める視界と操作性の確保、さらに乗る人すべてが走りの愉しさを味わえるゆとりの空間の創出を主眼に置いて各部をアレンジする。同時に、使用パーツの見た目品質の引き上げや装備類のグレードアップなども実施し、上質かつシックなキャビンルームを演出した。





搭載エンジンは2ステージツインターボの新機構を組み込んだEJ20H型1994cc水平対向4気筒DOHC16Vツインターボ(250ps)を筆頭に、自然吸気のEJ20型系のOHC16V(125ps)とDOHC16V(150ps)、EJ22型2212cc水平対向4気筒OHC16V(135ps)をラインアップする。駆動機構には4WDと2WD(FF)を用意。また4WD機構は5速MTがビスカスLSD付きのセンターデフ式、4速ATが電子制御多板クラッチを備えたトルクスプリット式、ターボの4速ATがVTD-4WDを組み込んだ。懸架機構については、ジオメトリーの変更やストロークの延長などを図った4輪ストラット式を採用。ワゴンのブライトンには電子制御エアサスペンションのEP-Sを装備した。



 



 



 



■“全性能モデルチェンジ”で280馬力クラブに仲間入り



 





いかにもスバルらしい独自のコンセプトで登場した2代目レガシィは、デビューと同時に受注台数を著しく伸ばし、たちまち大ヒット作に発展する。なかでもツインターボエンジンを搭載するツーリングワゴンのGT系グレードが高い人気を獲得。同時に、他メーカーからの乗り換えユーザーが80%あまりを占め、新たな顧客層の開拓に大きく貢献した。





この隆盛を維持しようと、開発陣は2代目レガシィの改良とラインアップ拡充を精力的に図っていく。まず1994年6月には、ベーシック仕様となるEJ18型1820cc水平対向4気筒OHC16Vエンジン(115ps)搭載車を追加。同年10月には、新開発のEJ25型2457cc水平対向4気筒DOHC16Vエンジン(160ps)を採用した250Tグレードを設定する。この250Tグレードは、5ナンバー規格のボディに厚い過渡トルクを発生する2.5Lエンジンを積んだ新種のグランドツーリングカーとして、とくに高めの年齢層から高い支持を集めた。さらに1995年8月には、車高を上げたサスペンションに大径オールシーズンタイヤをセットし、フォグランプを埋め込んだ専用バンパーなどを装備したクロスオーバーSUVの「グランドワゴン」を発売。米国では「アウトバック」の車名でリリースし、日本以上に販売台数を伸ばした。ちなみに、米国市場では2代目レガシィのデビューを契機に4WDを“AWD(All Wheel Drive)”と呼称変更する。その目的は、SUBARUの4WDが走りの楽しさや安全・安定性を追求した、乗用車の特性に合わせた駆動システムである事実を強調すること。当時の4WDは、オフロード車やピックアップなどの駆動機構の印象がまだまだ強かったのである。AWD戦略は、結果的にSUBARUのブランドイメージの向上を促進。この流れを重視した富士重工業は、全仕向地でAWD戦略を積極的に展開した。



 





1996年6月になると“全性能モデルチェンジ”を謳うビッグマイナーチェンジを実施する。搭載エンジンは新世代の“MASTER-4”シリーズに進化。そのなかで2ステージツインターボのEJ20H型は、過給器の見直しや電子制御可変マフラーの装着などによって規制値いっぱいの最高出力である280ps(GT-B/RSのMT車。エンジン型式はEJ20R)を発生した。また、EJ20Rエンジン搭載車は出力アップに即して足回りを強化。具体的には、ビルシュタイン社製倒立式ダンパーや17インチホイール&タイヤなどを装備した。





1997年8月にはグランドワゴンのマイナーチェンジを行い、サブネームを「ランカスター」に改称する。この時、ローレンジ付5速MTモデルを新設定。上級仕様のランカスター・リミテッドもラインアップに加えた。さらに翌9月には、レガシィ・シリーズ全体のマイナーチェンジを敢行。最上級仕様として、ボッシュ社製フォグランプなどを装備したGT-Bリミテッドを追加する。そして1998年に入ると、まず6月にツーリングワゴンが、12月にセダンが全面改良を行い、第3世代のレガシィ・ツーリングワゴン(BH型)/B4(BE型)に移行した。



 



 



 



■深刻な不況のなかでも“快走”を続ける



 





2代目レガシィの5年あまりに渡る車歴は、バブル景気の崩壊に苦しむ日本の自動車産業の状況と重なる。それでもレガシィが堅調な販売台数を記録し続けて“快走”し、富士重工業の経営再建に大きく貢献した事実は、独創的で高付加価値のクルマを提供することが奏功のカギを握るという真理を証明する形となった。





2代目レガシィの成功体験によって、富士重工業は以後の確固たる戦略、具体的には身の丈に合わせて余分なものを捨て、規模は小さくても独自の技術を磨いて付加価値を高め、収益を確保するという生き方を改めて打ち立てたのである。

 


情報提供元: citrus
記事名:「 【中年名車図鑑|2代目 スバル・レガシィ】5ナンバーサイズで勝負した高速ツーリングワゴン