大阪のとある居酒屋のトイレの貼り紙が話題になっている。社訓なのだが、その内容がブラック過ぎると批判されているのだ。



 




「熱があろうとも這ってでも出勤すべし」



「遅刻は十分で千円の罰金」



「上司の指示は神の指示」



「心なんか捨てろ、折れる心が無ければ耐えられる」




 



もちろん、冗談である。だが、なぜか真剣に批判する人たちが現れた。オーナーは“大阪人のノリ”としてウケるものだと思っていたのだが。



 




「酷過ぎる」



「絶対に許せない」



「組織が腐っている」



「労基と税務署の調査が入る事を祈る」




 



「ブラック社訓」というブラックジョークは、笑いのセンスを持つ関西人なら理解できるはず。冗談にまみれて育ってきたので笑い飛ばしてくれるし、実際、多くの客が笑い、SNSで拡散してくれた。恐らく、関西人以外が批判しているのだろう。では、なぜ批判されるのか。



 



 



■「冗談が通じない人」が増えるワケ



 



現代社会では、ジョークを読み取れない人が多くなっている。俗に「冗談が通じない人」とも言われる。彼らの性質を批判するつもりはない。生まれ育った環境などによって、場の雰囲気を読めなくなっているだけなのだから。



 



人と相対する機会が少なく、冗談を言い合うこともない。人とのコミュニケーションが不足することでハートも弱くなり、悪気のないひと言にも傷ついてしまう。その結果、他人との距離感をうまく掴めず、ゲームやパソコンに逃げ込む人が増えたのである。自覚しているのか、自分をコミュニケーション障害だと思い込む人もいる。



 



生身の人間の前では、自分を主張するどころか、話すことさえできないネット世界の住人が、鬱憤を蓄積させて、さまざまな事象を批判する側にまわっているのである。コミュニケーションが苦手な人は、人の意見を受け入れにくく、意見の違う人がいると自分を否定されたようにすら感じる。そこで批判・反論してしまうのである。そうしないと自分を保てなくなるからで、自分を守るために批判しているのである。



 



批判して、そこに共感者が現れると、自分は間違っていないと安心するし心強くもある。リアルな生活では少なかった仲間ができることで、批判する自分は正しいのだと確信する。すると、さらにエスカレートする。



 



 



■知る人が増えれば、批判する人も増える



 



また、世の中にはこうした人たちの餌食になるネタが多い。ネットやSNSの発達によって、個人の主張する場が劇的に増えたことに起因する。



 



身近な周囲の人たちが知るだけだったことが、ネットによって全国・全世界に拡散してしまう。人生で出会うこともない他人が、一個人の言動・行動を知ってしまうのである。たくさんの人が知れば、当然、批判する人も出てくる。相手が知らない人だから、批判しやすい。



 



一方的に情報を流すだけなら、見た人の声は聞こえないが、SNSは双方向メディア。リアルタイムで批判される。個人が情報を流す時は、倫理やルールを忘れてしまうことも多い。第三者のチェックがないので、本人が気づかないうちに批判ネタを流してしまうかもしれない。



 



 



■「批判すること=自己主張」な人たち



 



「LGBTは生産性がない」と言った議員は批判されて当然だが、剛力彩芽を批判するのは間違っている。彼女は金持ちとつき合い、はしゃいでしまっただけである。この批判は、嫉妬でしかない。憧れへの裏返しみたいなもので、自分にないものを持っている人は叩きたくなるのである。



 



批判ばかりしている人は、批判することが自己主張であり、自己防衛なので、すべての事柄を批判せずにはいられない。なので、議員だろうが、幸せな人だろうが、批判してしまうのである。



 



こういう人は、本人のリアルな生活が満たされない限り、人を批判し続けるのだろう。


情報提供元: citrus
記事名:「 「批判」という形でしか自己主張できない… 歪んだネット世界の住人たち