自分はまったく吸わないのですが、父が愛煙家だったこともあり、周りでタバコを吸われてもあまり気になりません。だから喫煙者にはわりと好意的に接してきたつもりでした。



 



でも1990年代から一部の喫煙者が、社会の禁煙ムードが高まる傾向に対し「禁煙ファシズム」というスローガンを掲げて批判をはじめると違和感をおぼえはじめ、いまだにしつこく言っているのを聞くと、腹立つようになりました。なんでこのひとたちはエラそうに被害者ヅラできるの? 私は平気だけど、よのなかには煙が苦手なひとはたくさんいます。喫煙者は自分さえ良ければいいのか?



 



 



■「煙をまき散らすな」と言ってるだけ



 



イヤホンの音漏れが不愉快なのはなぜですか。聴きたくもない音楽をムリヤリ聴かされるからですよね。「音楽は文化だ! 大音量で聴くのは個人の権利だ! オレの聴力や健康を損なってもおまえには関係ないだろ! ファシストめ!」とわめかれたら、あなたはきっとこう言うはず。



 



「音楽を聴くなとはいってない。音を漏らすなといってるだけだ。それがムリなら、家で聴け」



 



タバコもまったく同じこと。「タバコは文化だ。喫煙は個人の権利だ。オレの健康をおまえらにどうこういわれる筋合いはない。ファシストめ!」とゴタクを並べる連中へ返す言葉は、



 



「煙をまき散らすなと言ってるだけだ。それがムリなら、家で吸え」



 



音楽を国が禁止したらそれはファシズムでしょうけど、聴きたくもない音をまき散らすなというのはファシズムではありません。それは聴きたくないひとの正当な権利です。自分の家でもタバコを吸うなというのはファシズムですが、煙やニオイが嫌いなひとがいる場での喫煙規制をファシズムとなじるのは、とんだお門違い。周囲の他人が嫌がっているにもかかわらず、煙や水蒸気をまき散らす行為は、紛うかたなきエゴイズム。



 



 



■100年前もいた「喫煙馬鹿」



 



国家が健康を押しつけるなってのは、論点ずらしです。これは迷惑行為をめぐる議論であり、そもそも健康とは無関係。なぜなら、愛煙家と嫌煙家の戦いは100年前、タバコの健康への害が知られていない時代にはじまっていたからです。



 



そのおもな戦場は電車内。大正初期に刊行された『電車百馬鹿』なる書籍を読むと、車内や駅でみかけるマナー違反を100例並べてこきおろすなかに、「車内で喫煙する馬鹿」もしっかり登場しています。



 



むかしは電車でタバコが吸えたといいますが、それは中・長距離列車にかぎった話。通勤通学用の電車・市電では、明治時代末期からずっと禁煙でした。混みあう車内での煙と火の危険を考慮すれば当然の規則です。ところが、それを無視して車内で喫煙する百馬鹿が多かったことで、大正時代には、おなじみの警告文が車内に掲示されるようになります。



 



「煙草御遠慮ください」



 



出ました、「ご遠慮ください」。加害者の人権を尊重する、日本独自の警告文。でも、そんなぬるいやりかたで効果があると思います? 昭和初期の新聞には、車内喫煙への怒りの投書が頻繁に登場します。反響の多さにときおり特集まで組まれるほど。車内での喫煙をとがめたら、「オレは遠慮しながら吸ってるんだ」とトンチをかまされたとか、車掌も傍観していると職務怠慢を指摘したとか、さまざまな怒りが渦巻きます。



 



そんな世論に押されたか、ついに昭和5(1930)年には、省線(のちの国鉄、現JRの近距離専用電車)の車内掲示が「ご遠慮ください」から「絶対禁煙」に変わりました。



 



なぜ不愉快でも傍観するかといえば、お察しの通り、逆ギレされて暴力をふるわれるから。下戸で愛煙家だった私の父の口癖は、「酒飲んで暴れたヤツはたくさんいるが、タバコ吸って暴れたヤツはいない」でしたが、間違いです。



 



 



■愛煙家もそろそろガマンを覚えよう



 



戦後昭和になっても、電車や駅で迷惑行為を注意したら殴られた、刺されたという事件は跡を絶ちません。トラブルの原因のツートップは、喫煙と割り込みです。昭和のころよりはだいぶ減ったものの、2000年代になっても喫煙注意への逆ギレ暴行はなくならず、年に一度は新聞記事になってます。マナーの悪い喫煙者は一部とはいえ、その一部の傍若無人さを、少数派の嫌煙家は肩身の狭い思いで100年耐えてきたんです。そろそろ愛煙家もガマンをおぼえる時期なのでは。



 



さて、いまこの記事を読んでイラついている愛煙家のみなさんに朗報です。意外なことに、禁煙中のイライラから暴力をふるったという記事はひとつもありませんでした。こんなおもしろい例が1件でも起きれば、マスコミはこぞってとりあげるはず。なのにゼロということは、ほぼゼロなんです。禁煙が徹底されたら労働者が暴動を起こすとの脅しもむかしからありましたけど、暴動なんて起きてません。



 



どうやら、タバコをやめたひとのほとんどは、こころ穏やかに暮らしているようですよ。どうです、この機会にあなたも禁煙してみたら?


情報提供元: citrus
記事名:「 「禁煙ファシズム批判」はエゴでしかない! 嫌煙家が愛煙家にぶちまける100年の恨み