小学生の頃から子役としてドラマなどに出演していた三原じゅん子。子供向けドラマを中心に出演していたのだが、当時は余程のマニアでない限り三原の存在は知られていなかった。その三原が注目を浴びるキッカケとなったのは、1978年に放送された『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役での出演である。ここでは近藤真彦、田原俊彦、杉田かおる、つちやかおり、小林聡美などが共演して大きな話題を呼んだ。『3年B組金八先生』では不良生徒役で出演。「顔はヤバイよボディだよボディ」というセリフが名言となり、今でも語り草になっているほどだ。

 ドラマの放送終了後には、生徒役の役者たちが一気に人気者になり、80年には、三原の他に田原俊彦がレコードデビューすることになった。三原は不良テイスト満載の『セクシーナイト』でオリコン最高位8位を獲得、不良路線の曲が人気を呼び、82年には『だって・フォーリンラブ・突然』で『紅白歌合戦』(NHK)にも初出場となった。

 すっかり人気者になってしまった三原だが、これまでに何度か見る機会があっても、近くに寄ることがかなり厳しかった。というのも当時まだ中学生だった私は、ひとりで出待ちをすることが多かったのだが、別の出待ちをしている人とはすぐに仲良くできたのに、三原ファンはヤンキー系の人が多くいて、そこに割って入る度胸は私には無かった。ある日、まだ四谷にあった頃の文化放送の前で、三原とは別のアイドルの出待ちをしているところに、たまたま三原が出てきたことがあった。その時はたまたま三原ファンが誰もいなかったので、勇気を出して近くに行くには行ったのだが、三原から見えない近寄るなオーラが出ていた気がして、話しかけることすらできなかった。しかしここで怯んでいる場合じゃないと思い、車に乗り込んだ時に、何とか写真を1枚撮ることに成功した。とりあえず自分では結果が残せたと思っていた。

 この時から数年が経って、三原がタクシーから降りた瞬間を雑誌記者が写真を撮ったことで暴行をするという事件があったのだが、この事件を知った時に、当時の車の中の三原を撮影した自分がプレイバックして、今でも当時のことを思い出すと恐怖すら感じている。

 この暴行事件以降はアイドルから女優をメインに活動するようになり、さらにカーレースをやるようになった。その後レースで知り合ったレーサーと結婚するのだが、数年後には離婚。さらに離婚直後にお笑い芸人のコアラと結婚して数年で離婚している。かなり破天荒な人生を送っているようだが、2008年に子宮頸癌を患ったことで、三原に大きな転機が訪れた。医療や介護に関心を持つようになり、10年には参議院選挙に自由民主党から比例区で出馬し、もし当選したら芸能界を辞める決意を表明した。引退宣言を聞いた私は、三原の選挙活動の動向をチェックして、演説をやっている場所を調べることにした。何度か街頭演説を見る機会があり、久々に生の三原を見ることができた。演説が終わると自ら通行人に握手を求める光景があり、私も演説が終わってから三原の元に行こうとしたのだが、以前の出待ちで怖い思いをしたことが頭の中によぎってしまい、なかなか側へ行く勇気が出てこなかった。

 数分の間はその場で立ち止まって躊躇していたのだが、三原が私に向かって近づいてきてくれた。しかも自ら手を差し伸べてくれて握手を求めてきてくれたのだ。この瞬間に当時の怖さが無くなり、最後は笑顔で見届けることができた。

 これが約5年前の出来事だが、今でも三原は議員として頑張っているので、今後も国民のために頑張ってもらいたいものだ。もし議員の任期が終了することがあるのなら引退を撤回してまた芸能界に戻って来てもらいたい。その時は当時の不良スタイルでもう一度かつてのヒット曲を歌って欲しいものだ。顔じゃなくてボディに響く歌声をいつまでも待っていますから。

(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

【記事提供:リアルライブ】
情報提供元: リアルライブ